の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」
 Hさんはしまいにこう云った。彼はその上に兄の神経衰弱も肯《うけ》がった。しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。
「だからこの際旅行は至極《しごく》好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」
 Hさんの言葉には自信がなかった。
「あなたのおっしゃる事なら素直《すなお》に聞くだろうと思うんですが」
「そうも行かんさ」
 Hさんは苦笑していた。
 表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それが皆《みん》なそぞろ歩きでもするように、長閑《のど》かに履物《はきもの》の音を響かして行った。空には星の光が鈍《にぶ》かった。あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。

        十六

 自分は首を長くしてHさんの消息を待った。花のたよりが都下の新聞を賑《にぎわ》し始めた一週間の後《のち》になっても、Hさんからは何の通知もなかった。自分は失望した。電話を番町へかけて聞き合せるのも厭《いや》になった。どうでもするが好いという気分でじっとしていた。そこへ三沢が来た。
「どうも旨《うま》く行かないそうだ」
 事実ははたして自分の想像した通りであった。兄はHさんの勧誘を断然断ってしまった。Hさんはやむをえず三沢を呼んで、その結果を自分に伝えるように頼んだ。
「それでわざわざ来てくれたのかい」
「まあそうだ」
「どうも御苦労さま、すまない」
 自分はこれ以上何を云う気も起らなかった。
「Hさんはああ云う人だから、自分の責任のように気の毒がっている。今度は事があまり突然なので旨く行かなかったが、この次の夏休みには是非どこかへ連れ出すつもりだと云っていた」
 自分はこういう慰藉《いしゃ》をもたらしてくれた三沢の顔を見て苦笑した。Hさんのような大悠《たいゆう》な人から見たら、春休みも夏休みも同じ事なんだろうけれども、内側で働いてい
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