、青春の第一日ともいうべき暖かい光を、南へ廻った太陽が自分達の上へ投げかけていた。獺《かわうそ》の襟《えり》をつけた重いとんびを纏《まと》った父も、少し厚手の外套《がいとう》を着た自分も、先刻《さっき》からの運動で、少し温気《うんき》に蒸《む》される気味であった。その春の半日を自分は父の御蔭《おかげ》で、珍らしく方々引っ張り廻された。この老いた父と、こう肩を並べて歩いた例《ためし》は近頃とんとなかった。この老いた父とこれから先もう何度こうして歩けるものかそれも分らなかった。
自分は鈍い不安のうちに、微《かす》かな嬉《うれ》しさと、その嬉しさに伴う一種のはかなさとを感じた。そうして不意に自分の胸を襲ったこの感傷的な気分に、なるべく己《おの》れを任せるような心持で足を運ばせた。
「御母さんは驚いているよ。御彼岸《おひがん》に御萩《おはぎ》を持たせてやっても、返事も寄こさなければ、重箱を返しもしないって。ちょっとでも好いから来ればいいのさ。来られない訳が急にできた訳でもあるまいし」
自分は何とも返事をしなかった。
「今日は久しぶりに御前を伴《つ》れて行って皆《みん》なに会わせようと思って。――御前一郎に近頃会った事はあるまい」
「ええ実は下宿をする時|挨拶《あいさつ》をしたぎりです」
「それ見ろ。ところが今日はあいにく一郎が留守《るす》だがね。御父さんが上野の披露会の事を忘れていたのが悪かったけれども」
自分は父に伴《つ》れられて、とうとう番町の門を潜《くぐ》った。
十
座敷に這入《はい》った時、母は自分の顔を見て、「おや珍らしいね」と云っただけであった。自分はほとんど権柄《けんぺい》ずくでここへ引っ張られて来ながらも、途々《みちみち》父の情《なさけ》をありがたく感じていた。そうして暗に家に帰ってから母に会う瞬間の光景を予想していた。その予想がこの一言《いちごん》で打ち崩《くず》されたのは案外であった。父は家内の誰にも打ち合せをせずに、全く自分一人の考えで、この不心得な息子に親切を尽してくれたのである。お重は逃げた飼犬を見るような眼つきで自分を見た。「そら迷子《まいご》が帰って来た」と云った。嫂《あによめ》はただ「いらっしゃい」と平生の通り言葉寡《ことばずくな》な挨拶をした。この間の晩一人で尋ねて来た事は、まるで忘れてしまったという風に見えた。
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