広間へ入った。するとそこに応挙《おうきょ》の絵がずらりと十幅ばかりかけてあった。それが不思議にも続きもので、右の端《はじ》の巌《いわ》の上に立っている三羽の鶴と、左の隅《すみ》に翼をひろげて飛んでいる一羽のほかは、距離にしたら約二三間の間ことごとく波で埋《うま》っていた。
「唐紙《からかみ》に貼《は》ってあったのを、剥《は》がして懸物《かけもの》にしたのだね」
一幅ごとに残っている開閉《あけたて》の手摺《てずれ》の痕《あと》と、引手《ひきて》の取れた部分の白い型を、父は自分に指し示した。自分は広間の真中に立ってこの雄大な画《え》を描いた昔の日本人を尊敬する事を、父の御蔭《おかげ》でようやく知った。
二階から下りた時、父は玉《ぎょく》だの高麗焼《こうらいやき》だのの講釈をした。柿右衛門《かきえもん》と云う名前も聞かされた。一番下らないのはのんこうの茶碗であった。疲れた二人はついに表慶館を出た。館の前を掩《おお》うように聳《そび》えている蒼黒《あおぐろ》い一本の松の木を右に見て、綺麗《きれい》な小路《こみち》をのそのそ歩いた。それでも肝心《かんじん》の用事について、父は一言《ひとこと》も云わなかった。
「もうじき花が咲くね」
「咲きますね」
二人はまたのそのそ東照宮の前まで来た。
「精養軒で飯でも食うか」
時計はもう一時半であった。小さい時分から父に伴《つ》れられて外出《そとで》するたびに、きっとどこかで物を食う癖のついた自分は、成人の後《のち》も御供と御馳走《ごちそう》を引き離しては考えていなかった。けれどもその日はなぜだか早く父に別れたかった。
行きがけに気のつかなかったその精養軒の入口は、五色の旗で隙間《すきま》なく飾られた綱を、いつの間にか縦横に渡して、絹帽《シルクハット》の客を華《はな》やかに迎えていた。
「何かあるんですよ今日は。おおかた貸し切りなんでしょう」
「なるほど」
父は立ち留って木《こ》の間《ま》にちらちらする旗の色を眺めていたが、やがて気のついた風で、「今日は二十三日だったね」と聞いた。その日は二十三日であった。そうしてKという兄の知人の結婚披露の当日であった。
「つい忘れていた。一週間ばかり前に招待状が来ていたっけ。一郎と直《なお》と二人の名宛《なあて》で」
「Kさんはまだ結婚しなかったのですかね」
「そうさ。善《よ》く知らないが、
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