度がお重には見せびらかしの面当《つらあて》のように聞えた。早く嫁に行く先をきめて、こんなものでも縫う覚悟でもしろという謎《なぞ》にも取れた。いつまで小姑《こじゅうと》の地位を利用して人を苛虐《いじ》めるんだという諷刺《ふうし》とも解釈された。最後に佐野さんのような人の所へ嫁に行けと云われたのがもっとも神経に障《さわ》った。
 彼女は泣きながら父の室《へや》に訴えに行った。父は面倒だと思ったのだろう、嫂《あによめ》には一言《いちごん》も聞糺《ききただ》さずに、翌日お重を連れて三越へ出かけた。

        十一

 それから二三日して、父の所へ二人ほど客が来た。父は生来《せいらい》交際好《こうさいずき》の上に、職業上の必要から、だいぶ手広く諸方へ出入していた。公《おおやけ》の務《つとめ》を退いた今日《こんにち》でもその惰性だか影響だかで、知合間《しりあいかん》の往来《おうらい》は絶える間もなかった。もっとも始終《しじゅう》顔を出す人に、それほど有名な人も勢力家も見えなかった。その時の客は貴族院の議員が一人と、ある会社の監査役が一人とであった。
 父はこの二人と謡《うたい》の方の仲善《なかよし》と見えて、彼らが来るたびに謡をうたって楽《たのし》んだ。お重は父の命令で、少しの間|鼓《つづみ》の稽古《けいこ》をした覚《おぼえ》があるので、そう云う時にはよく客の前へ呼び出されて鼓を打った。自分はその高慢ちきな顔をまだ忘れずにいる。
「お重お前の鼓は好いが、お前の顔はすこぶる不味《まず》いね。悪い事は云わないから、嫁に行った当座はけっして鼓を御打ちでないよ。いくら御亭主が謡気狂《うたいきちがい》でもああ澄まされた日にゃ、愛想を尽かされるだけだから」とわざわざ罵《のの》しった事がある。すると傍《そば》に聞いていたお貞さんが眼を丸くして、「まあひどい事をおっしゃる事、ずいぶんね」と云ったので、自分も少し言い過ぎたかと思った。けれども烈《はげ》しいお重は平生に似ず全く自分の言葉を気にかけないらしかった。「兄さんあれでも顔の方はまだ上等なのよ。鼓と来たらそれこそ大変なの。妾《あたし》謡の御客があるほど厭《いや》な事はないわ」とわざわざ自分に説明して聞かせた。お重の顔ばかりに注意していた自分は、彼女の鼓がそれほど不味いとはそれまで気がつかなかった。
 その日も客が来てから一時間半ほど
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