きのう》一昨日《おととい》などはことにそうであった。ところがこうして佐野が一人新しく席に加わって見ると、友達の手前体裁が悪いという訳だか何だか、自分に対する口の利《き》き方が急に対等になった。ある時は対等以上に横風《おうふう》になった。
 四人のいる座敷の向《むこう》には、同じ家のだけれども棟《むね》の違う高い二階が見えた。障子《しょうじ》を取り払ったその広間の中を見上げると、角帯《かくおび》を締《し》めた若い人達が大勢《おおぜい》いて、そのうちの一人が手拭《てぬぐい》を肩へかけて踊《おどり》かなにか躍《おど》っていた。「御店《おたな》ものの懇親会というところだろう」と評し合っているうちに、十六七の小僧が手摺《てすり》の所へ出て来て、汚ないものを容赦《ようしゃ》なく廂《ひさし》の上へ吐《は》いた。すると同じくらいな年輩の小僧がまた一人|煙草《たばこ》を吹かしながら出て来て、こらしっかりしろ、おれがついているから、何にも怖《こわ》がるには及ばない、という意味を純粋の大阪弁でやり出した。今まで苦々《にがにが》しい顔をして手摺の方を見ていた四人はとうとう吹き出してしまった。
「どっちも酔ってるんだよ。小僧の癖に」と岡田が云った。
「あなたみたいね」とお兼さんが評した。
「どっちがです」と佐野が聞いた。
「両方ともよ。吐いたり管《くだ》を捲《ま》いたり」とお兼さんが答えた。
 岡田はむしろ愉快な顔をしていた。自分は黙っていた。佐野は独《ひと》り高笑《たかわらい》をした。
 四人はまだ日の高い四時頃にそこを出て帰路についた。途中で分れるとき佐野は「いずれそのうちまた」と帽を取って挨拶《あいさつ》した。三人はプラットフォームから外へ出た。
「どうです、二郎さん」と岡田はすぐ自分の方を見た。
「好さそうですね」
 自分はこうよりほかに答える言葉を知らなかった。それでいて、こう答えた後《あと》ははなはだ無責任なような気がしてならなかった。同時にこの無責任を余儀なくされるのが、結婚に関係する多くの人の経験なんだろうとも考えた。

        十

 自分は三沢の消息を待って、なお二三日岡田の厄介になった。実をいうと彼らは自分のよそに行って宿を取る事を許さなかったのである。自分はその間できるだけ一人で大阪を見て歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京よりも溌溂《はつらつ》と
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