て来た。洋服を投出すが早いか勝手へ行って水浴をして「さあ行こう」と云い出した。
お兼さんはいつの間にか箪笥《たんす》の抽出《ひきだし》を開けて、岡田の着物を取り出した。自分は岡田が何を着るか、さほど気にも留めなかったが、お兼さんの着せ具合や、帯の取ってやり具合には、知らず知らず注意を払っていたものと見えて、「二郎さんあなた仕度《したく》は好いんですか」と聞かれた時、はっと気がついて立ち上った。
「今日はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに云った。「だって……」とお兼さんは絽《ろ》の羽織を両手で持ちながら、夫の顔を見上げた。自分は梯子段《はしごだん》の中途で、「奥さんいらっしゃい」と云った。
洋服を着て下へ降りて見ると、お兼さんはいつの間にかもう着物も帯も取り換えていた。
「早いですね」
「ええ早変り」
「あんまり変り栄《ばえ》もしない服装《なり》だね」と岡田が云った。
「これでたくさんよあんな所《とこ》へ行くのに」とお兼さんが答えた。
三人は暑《あつさ》を冒《おか》して岡を下《くだ》った。そうして停車場からすぐ電車に乗った。自分は向側に並んで腰をかけた岡田とお兼さんを時々見た。その間には三沢の突飛《とっぴ》な葉書を思い出したりした。全体あれはどこで出したものなんだろうと考えても見た。これから会いに行く佐野という男の事も、ちょいちょい頭に浮んだ。しかしそのたんびに「物好《ものずき》」という言葉がどうしてもいっしょに出て来た。
岡田は突然体を前に曲げて、「どうです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上を真直《まっすぐ》にして、何かお兼さんに云った。その顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「御気に入ったら、あなたも大阪《こちら》へいらっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「ありがとう」と答えた。さっきどうですと突然聞いた岡田の意味は、この時ようやく解った。
三人は浜寺《はまでら》で降りた。この地方の様子を知らない自分は、大《おおき》な松と砂の間を歩いてさすがに好い所だと思った。しかし岡田はここでは「どうです」を繰返さなかった。お兼さんも洋傘《こうもり》を開いたままさっさと行った。
「もう来ているだろうか」
「そうね。ことに因《よ》るともう来て待っていらっしゃるかも知れないわ」
自分は二人の後《あと》に跟《
前へ
次へ
全260ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング