を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜《べんぎ》になるだけの、いわば私の都合に過ぎないので、先刻《さっき》云った母のいいつけとはまるで別物であった。母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入《かんいり》の菓子を、御土産《おみやげ》だよと断《ことわ》って、鞄《かばん》の中へ入れてくれたのは、昔気質《むかしかたぎ》の律儀《りちぎ》からではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控《ひか》えているからであった。
自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へ岐《わか》れて出た、どんな枝となって、互に関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向についても大した期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ちついて四角な顔をしている、いくら髭《ひげ》を欲しがっても髭の容易に生えない、しかも頭の方がそろそろ薄くなって来そうな、――岡田という人物に会う方の好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつもかけ違って会う事ができなかった。したがって強く酒精《アルコール》に染められた彼《かれ》の四角な顔も見る機会を奪われていた。自分は俥《くるま》の上で指を折って勘定して見た。岡田がいなくなったのは、ついこの間のようでも、もう五六年になる。彼の気にしていた頭も、この頃ではだいぶ危険に逼《せま》っているだろうと思って、その地《じ》の透《す》いて見えるところを想像したりなどした。
岡田の髪の毛は想像した通り薄くなっていたが、住居《すまい》は思ったよりもさっぱりした新しい普請《ふしん》であった。
「どうも上方流《かみがたりゅう》で余計な所に高塀《たかべい》なんか築き上《あげ》て、陰気《いんき》で困っちまいます。そのかわり二階はあります。ちょっと上《あが》って御覧なさい」と彼は云った。自分は何より先に友達の事が気になるので、こうこういう人からまだ何とも通知は来ないかと聞いた。岡田は不思議そうな顔をして、いいえと答えた。
二
自分は岡田に連れられて二階へ上《あが》って見た。当人が自慢するほどあって眺望《ちょうぼう》はかなり好かったが、縁側《えんがわ》のない座敷の窓へ日が遠慮なく照り返すので、暑さは一通りではなかった。床《
前へ
次へ
全260ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング