いんでしょうね」と聞いた。「あの構《かまえ》で電話があるように見えますかね」と答えた岡田の顔には、ただ機嫌《きげん》の好《い》い浮き浮きした調子ばかり見えた。
四
それは夕方の比較的長く続く夏の日の事であった。二人の歩いている岡の上はことさら明るく見えた。けれども、遠くにある立樹《たちき》の色が空に包まれてだんだん黒ずんで行くにつれて、空の色も時を移さず変って行った。自分は名残《なごり》の光で岡田の顔を見た。
「君東京にいた時よりよほど快豁《かいかつ》になったようですね。血色も大変好い。結構だ」
岡田は「ええまあお蔭《かげ》さまで」と云ったような瞹眛《あいまい》な挨拶《あいさつ》をしたが、その挨拶のうちには一種|嬉《うれ》しそうな調子もあった。
もう晩飯《ばんめし》の用意もできたから帰ろうじゃないかと云って、二人|帰路《きろ》についた時、自分は突然岡田に、「君とお兼さんとは大変仲が好いようですね」といった。自分は真面目なつもりだったけれども、岡田にはそれが冷笑《ひやかし》のように聞えたと見えて、彼はただ笑うだけで何の答えもしなかった。けれども別に否《いな》みもしなかった。
しばらくしてから彼は今までの快豁《かいかつ》な調子を急に失った。そうして何か秘密でも打ち明けるような具合に声を落した。それでいて、あたかも独言《ひとりごと》をいう時のように足元を見つめながら、「これであいつといっしょになってから、かれこれもう五六年近くになるんだが、どうも子供ができないんでね、どういうものか。それが気がかりで……」と云った。
自分は何とも答えなかった。自分は子供を生ますために女房を貰う人は、天下に一人もあるはずがないと、かねてから思っていた。しかし女房を貰ってから後《あと》で、子供が欲しくなるものかどうか、そこになると自分にも判断がつかなかった。
「結婚すると子供が欲しくなるものですかね」と聞いて見た。
「なに子供が可愛《かわい》いかどうかまだ僕にも分りませんが、何しろ妻《さい》たるものが子供を生まなくっちゃ、まるで一人前の資格がないような気がして……」
岡田は単にわが女房を世間並《せけんなみ》にするために子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供ができるのが怖《こわ》いから、まあもう少し先へ延《のば》そうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云ってや
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