できる。左右の家は触《さわ》れば触る事が出来る。二階へ上《のぼ》れば上る事が出来る。できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象だけを眸《ひとみ》のなかに受けながら立っていた。
自分は学者でないから、こう云う心持ちは何と云うんだか分らない。残念な事に名前を知らないのでついこう長くかいてしまった。学問のある人から見たら、そんな事をと笑われるかも知れないが仕方がない。その後《のち》これに似た心持は時々経験した事がある。しかしこの時ほど強く起った事はかつてない。だから、ひょっとすると何かの参考になりはすまいかと思って、わざわざここに書いたのである。ただしこの心持ちは起るとたちまち消えてしまった。
見ると日はもう傾《かたぶ》きかけている。初夏《しょか》の日永《ひなが》の頃だから、日差《ひざし》から判断して見ると、まだ四時過ぎ、おそらく五時にはなるまい。山に近いせいか、天気は思ったほどよくないが、現に日が出ているくらいだから悪いとは云われない。自分は斜《はす》かけに、長い一筋の町を照らす太陽を眺《なが》めた時、あれが西の方だと思った。東京を出て北へ北へと走ったつもりだが、汽車から降りて見ると、まるで方角がわからなくなっていた。この町を真直に町の通ってるなりに、下《くだ》ると、突き当りが山で、その山は方角から推《お》すと、やはり北であるから、自分と長蔵さんは相変らず、北の方へ行くんだと思った。
その山は距離から云うとだいぶんあるように思われた。高さもけっして低くはない。色は真蒼《まっさお》で、横から日の差す所だけが光るせいか、陰の方は蒼《あお》い底が黒ずんで見えた。もっともこれは日の加減と云うよりも杉檜《すぎひのき》の多いためかも知れない。ともかくも蓊欝《こんもり》として、奥深い様子であった。自分は傾《かたぶ》きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立だろうか、または続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、だんだん山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥のまたその奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々はことごとく北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、ただ行くだけでなかなか麓《ふもと》へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと引き込んでいくような気がする結果とも云われるし。日がだんだん傾《かたぶ》いて陰の方は蒼い山の上皮《うわかわ》と、蒼い空の下層《したがわ》とが、双方で本分を忘れて、好い加減に他《ひと》の領分を犯《おか》し合ってるんで、眺める自分の眼にも、山と空の区劃《くかく》が判然しないものだから、山から空へ眼が移る時、つい山を離れたと云う意識を忘却して、やはり山の続きとして空を見るからだとも云われる。そうしてその空は大変広い。そうして際限なく北へ延びている。そうして自分と長蔵さんは北へ行くんである。
自分は昨夕《ゆうべ》東京を出て、千住《せんじゅ》の大橋まで来て、袷《あわせ》の尻を端折《はしょ》ったなり、松原へかかっても、茶店へ腰を掛けても、汽車へ乗っても、空脛《からすね》のままで押し通して来た。それでも暑いくらいであった。ところがこの町へ這入《はい》ってから何だか空脛では寒い気持がする。寒いと云うよりも淋しいんだろう。長蔵さんと黙って足だけを動かしていると、まるで秋の中を通り抜けてるようである。そこで自分はまた空腹になった。たびたび空腹になった事ばかりを書くのはいかがわしい事で、かつこの際空腹になっては、どうも詩的でないが、致し方がない。実際自分は空腹になった。家《うち》を出てから、ただ歩くだけで、人間の食うものを食わないから、たちまち空腹になっちまう。どんなに気分がわるくっても、煩悶《はんもん》があっても、魂が逃げ出しそうでも、腹だけは十分減るものである。いや、そう云うよりも、魂を落つけるためには飯を供えなくっちゃいけないと云い換えるのが適当かも知れない。品《ひん》の悪い話だが、自分は長蔵さんと並んで往来の真中を歩きながら、左右に眼をくばって、両側の飲食店を覗《のぞ》き込むようにして長い町を下《くだ》って行った。ところがこの町には飲食店がだいぶんある。旅屋《はたごや》とか料理屋とか云う上等なものは駄目としても、自分と長蔵さんが這入ってしかるべきやたいち[#「やたいち」に傍点]流《りゅう》のがあすこにもここにも見える。しかし長蔵さんは毫《ごう》も支度《したく》をしそうにない。最前の我多馬車《がたばしゃ》の時のように「御前さん夕食《ゆうめし》を食うかね」とも聞いてくれない。その癖自分と同じように、きょろきょろ両側に眼を配って何だか発見したいような気色《けしき》がありありと見える。自分は今に長蔵さんが恰好《かっこう》な所を見つけて、晩食《ばんめし》をしたために自分を連れ込む事と自信して、気を永く辛抱しながら、長い町を北へ北へと下って行った。
自分は空腹を自白したが、倒れるほどひもじくは無かった。胃の中にはまだ先刻《さっき》の饅頭《まんじゅう》が多少残ってるようにも感ぜられた。だから歩けば歩かれる。ただ汽車を下りるや否や滅《め》り込《こ》みそうな精神が、真直《まっすぐ》な往来の真中に抛《ほう》り出されて、おやと眼を覚したら、山里の空気がひやりと、夕日の間から皮膚を冒《おか》して来たんで、心機一転の結果としてここに何か食って見たくなったんである。したがって食わなければ食わないでも済む。長蔵さん何か食わしてくれませんかと云うほど苦しくもなかった。しかし何だか口が淋《さび》しいと見えて、しきりに縄暖簾《なわのれん》や、お|煮〆《にしめ》や、御中食所《おちゅうじきどころ》が気にかかる。相手の長蔵さんがまた申し合せたように右左と覗《のぞ》き込むので、こっちはますます食意地《くいいじ》が張ってくる。自分はこの長い町を通りながら、自分らに適当と思う程度の一膳《いちぜん》めし屋をついに九軒まで勘定した。数えて九軒目に至ったら、さしもに長い宿《しゅく》はとうとうおしまいになり掛けて、もう一町も行けば宿外《しゅくはず》れへ出抜《ずぬ》けそうである。はなはだ心細かった。時にふと右側を見ると、また酒めしと云う看板に逢着《ほうちゃく》した。すると自分の心のうちにこれが最後だなと云う感じが起った。それがためか煤《すす》けた軒の腰障子《こししょうじ》に、肉太に認《したた》めた酒めし[#「酒めし」に傍点]、御肴[#「御肴」に傍点]と云う文字がもっとも劇烈な印象をもって自分の頭に映じて来た。その映じた文字がいまだに消えない。酒の字でも、めし[#「めし」に傍点]の字でも、御肴《おんさかな》の字でもありあり見える。この様子では、いくら耄碌《もうろく》してもこの五字だけは、そっくりそのまま、紙の上に書く事が出来るだろう。
自分が最後の酒、めし、御肴をしみじみ見ていると、不思議な事に長蔵さんも一生懸命に腰障子の方に眼をつけている。自分はさすが頑強《がんきょう》の長蔵さんも今度こそ食いに這入《はい》るに違なかろうと思った。ところが這入らない。その代りぴたりと留った。見ると腰障子の奥の方では何だか赤いものが動いている。長蔵さんの顔色を窺《うかが》うと、何でもこの赤いものを見詰めているらしい。この赤いものは無論人間である。が長蔵さんがなぜ立ち留ってこの赤い人間を覗《のぞ》き込むのか、とんと自分には分らなかった。人間には違ないが、ただ薄暗く赤いばかりで、顔つきなどは無論判然しやしない。がと思って、自分も不審かたがた立ち留っていると、やがて障子の奥から赤毛布《あかげっと》が飛び出した。いくら山里でも五月の空に毛布は無用だろうと云う人があるかも知れないが、実際この男は赤毛布で身を堅めていた。その代り下には手織の単衣《ひとえもの》一枚だけしきゃ着ていないんだから、つまり|〆《しめ》て見ると自分と大した相違はない事になる。もっとも単衣一枚で凌《しの》いでると云う事は、あとからの発見で、障子の影から飛び出した時にはただ赤いばかりであった。
すると長蔵さんは、いきなり、この赤い男の側《そば》へつかつかやって行って、
「お前さん、働く気はないかね」
と云った。自分が長蔵さんに捕《つか》まった時に聞かされた、第一の質問はやはり「働く気はないかね」であったから、自分はおやまた働かせる気かなと思って、少からぬ興味の念に駆《か》られながら二人を見物していた。その時この長蔵さんは、誰を見ても手頃な若い衆《しゅ》とさえ鑑定すれば、働く気はないかねと持ち掛ける男だと云う事を判然《はんぜん》と覚《さと》った。つまり長蔵さんは働かせる事を商売にするんで、けっして自分一人を非常な適任者と認めて、それで坑夫に推挙した訳ではなかった。おおかたどこで、どんな人に、幾人《いくたり》逢《あ》おうとも、版行《はんこう》で押したような口調で御前さん働く気はないかねを根気よく繰返し得る男なんだろう。考えると、よくこんな商売を厭《あ》きもせず、長の歳月《としつき》やられたものだ。長蔵さんだって、天性御前さん働く気はないかねに適した訳でもあるまい。やっぱり何かの事情やむを得ず御前さんを復習しているんだろう。こう思えば、まことに罪のない男である。要するに芸がないからほかの事は出来ないんだが、ほかの事が出来ないんだと意識して煩悶《はんもん》する気色《けしき》もなく、自分でなくっちゃ御前さん[#「御前さん」に傍点]をやり得る人間は天下広しといえども二人と有るまいと云うほどの平気な顔で、やっている。
その当時自分にこれだけの長蔵観《ちょうぞうかん》があったらだいぶ面白かったろうが、何しろ魂に逃げだされ損なっている最中だったから、なかなかそんな余裕は出て来なかった。この長蔵観は当時の自分を他人と見做《みな》して、若い時の回想を紙の上に写すただ今、始めて序《じょ》の節《せつ》に浮かんだのである。だからやッぱり紙の上だけで消えてなくなるんだろう。しかしその時その砌《みぎ》りの長蔵観と比較して見るとだいぶ違ってるようだ。――
自分は長蔵さんと赤毛布《あかげっと》の立談《たちばなし》を聞きながら、自分は長蔵さんから毫《ごう》も人格を認められていなかったと云う事を見出した。――もっとも人格はこの際少しおかしい。いやしくも東京を出奔《しゅっぽん》して坑夫にまでなり下がるものが人格を云々《うんぬん》するのは変挺《へんてこ》な矛盾である。それは自分も承知している。現に今筆を執《と》って人格と書き出したら、何となく馬鹿気《ばかげ》ていて、思わず噴《ふ》き出しそうになったくらいである。自分の過去を顧《かえり》みて噴き出しそうになる今の身分を、昔と比《くら》べて見ると実に結構の至りであるが、その時はなかなか噴き出すどころの騒ぎではなかった。――長蔵さんは明かに自分の人格を認めていなかった。
と云うのは、彼れはこの酒、めし、御肴《おんさかな》の裏《うち》から飛び出した若い男を捕《つら》まえて、第二世の自分であるごとく、全く同じ調子と、同じ態度と、同じ言語と、もっと立ち入って云えば、同じ熱心の程度をもって、同じく坑夫になれと勧誘している。それを自分はなぜだか少々|怪《け》しからんように考えた。その意味を今から説明して見ると、ざっとこんな訳なんだろう。――
坑夫は長蔵さんの云うごとくすこぶる結構な家業《かぎょう》だとは、常識を質に入れた当時の自分にももっともと思いようがなかった。まず牛から馬、馬から坑夫という位の順だから、坑夫になるのは不名誉だと心得ていた。自慢にゃならないと覚《さと》っていた。だから坑夫の候補者が自分ばかりと思《おもい》のほか突然居酒屋の入口から赤毛布になって、あらわれようとも別段神経を悩ますほどの大事件じゃないくらいは分りきってる。しかしこの赤毛布の取扱方が全然自分と同様であると、同様であると云う点に不平があるよりも、自分は全然赤毛布と一般な人間であると云う気になっちまう
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