出して、
「さあ、食った」
と云う。自分は眼前に芋を突きつけられながら、ただ
「ありがとう」
と礼を述べて、芋を眺《なが》めていた。どの芋にしようかと考えた訳ではない。そんな選択を許すような芋ではなかった。赤くって、黒くって、瘠《や》せていて、湿《しめ》っぽそうで、それで所々皮が剥《は》げて、剥げた中から緑青《ろくしょう》を吹いたような味《み》が出ている。どれにぶつかったって大同小異である。そんなら一目惨澹《いちもくさんたん》たるこの芋の光景に辟易《へきえき》して、手を出さなかったかと云うと、そうでもない。自分の胃の状況から察すると、芋中《いもちゅう》のヽヽとも云わるべきこの御薩《おさつ》を快よく賞翫《しょうがん》する食欲は十分有ったように思う。しかし「さあ、食った」と突きつけられた時は、何だかおびえ[#「おびえ」に傍点]たような気分で、おいきたと手を出し損《そく》なった。これはおおかた「さあ、食った」の云い方が悪かったんだろう。
自分が芋を取らないのを見て、長蔵さんは、少々もどかしいと云う眼つきで、再び
「さあ」
と、例の顎《あご》で芋を指《さ》しながら、前へ出した手頸《てくび》を
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