縮の態度で出したんだから、馬鹿である。
「少しって、御前さん、いくら持ってるい」
と長蔵さんが聞き返した。長蔵さんは自分が頬辺を赤くしても、恐縮しても、まるで頓着《とんじゃく》しない。ただいくら持ってるか聞きたい様子であった。ところがあいにく肝心《かんじん》の自分にはいくらあるか判然しない。何しろ|〆《しめ》て三十二銭のうち、饅頭《まんじゅう》を三皿食って、茶代を五銭やったんだから、残るところはたくさんじゃない。あっても無くっても同じくらいなものだ。
「ほんのわずかです。とても足りそうもないです」
と正直なところを云うと、
「足りないところは、私《わたし》が足して上げるから、構わない。何しろ有るだけ御出し」
と、思ったよりは平気である。自分はこの際一銭銅や二銭銅を勘定するのは、いかにも体裁《ていさい》がわるいと考えた上に、有るものを無いと隠すように取られては厭《いや》だから、懐《ふところ》から例の蟇口《がまぐち》を取り出して、蟇口ごと長蔵さんに渡した。この蟇口は鰐《わに》の皮で拵《こしら》えたすこぶる上等なもので、親父から貰う時も、これは高価な品であると云う講釈をとくと聴かされた贅沢物
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