思う間もなく、その中から苦《にが》い餡《あん》が卒然として味覚を冒《おか》して来た。しかしこの際だから別にしまったとも思わなかった。難なく餡も皮も油もぐいと胃の腑《ふ》へ呑《の》み下《くだ》してしまったら、自然と手がまた木皿の方へ出たから不思議なものだ。どてら[#「どてら」に傍点]はこの時もう第二の饅頭を平らげて、第三に移っている。自分に比較すると大変速力が早い。そうして食ってる間は口を利《き》かない。働く事も儲《もう》かる事もまるで忘れているらしい。したがって七つの饅頭は呼吸《いき》を二三度するうちに無くなってしまった。しかも自分はたった二つしか食わない。残る五つは瞬《またた》く間《ま》にどてら[#「どてら」に傍点]のためにしてやられたのである。
 いかに逡巡《しりごみ》をするほどの汚《きた》ならしいものでも、一度皮切りをやると、あとはそれほど神経に障《さわ》らずに食えるものだ。これはあとで山へ行ってしみじみ経験した事で、今では何でもない陳腐《ちんぷ》の真理になってしまったが、その時は饅頭《まんじゅう》を食いながら少々|呆《あき》れたくらい後《あと》が食いたくなった。それに腹は減って
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