く出たんじゃ、けっしてない。するとどてら[#「どてら」に傍点]の方でも自分を同程度の人間と見做《みな》したような語気で、
「御前《おまえ》さん、働く了簡《りょうけん》はないかね」
と云った。自分は今が今まで暗い所へ行くよりほかに用のない身と覚悟していたんだから、藪《やぶ》から棒《ぼう》に働く了簡はないかねと聞かれた時には、何と答えて善《い》いか、さっぱり訳《わけ》が分らずに、空脛《からすね》を突っ張ったまま、馬鹿見たような口を開けて、ぼんやり相手を眺《なが》めていた。
「御前さん、働く了簡はないかね。どうせ働かなくっちゃならないんだろう」
とどてら[#「どてら」に傍点]がまた問い返した。問い返された時分にはこっちの腹も、どうか、こうか、受け答の出来るくらいに眼前の事況《じきょう》を会得《えとく》するようになった。
「働いても善《い》いですが」
これは自分の答である。しかしこの答がいやしくも口に出て来るほどに、自分の頭が間に合せの工面にせよ、やっと片づいたと云うものは、単純ながら一順の過程を通っておる。
自分はどこへ行くんだか分らないが、なにしろ人のいないところへ行く気でいた。のに振
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