中でカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を点《つ》けた、初さんはたしかに日は短えやなと云った。
自分が土の段を一二間下りて、初さんの立ってる所まで行くと、初さんは、右へ曲った。また段々が四五間続いている。それを降り切ると、今度は初さんが左へ折れる。そうしてまた段々がある。右へ折れたり左へ折れたり稲妻《いなずま》のように歩いて、段々を――さあ何町《なんちょう》降りたか分らない。始めての道ではあるし、ことに暗い坑《あな》の中の事であるから自分には非常に長く思われた。ようやく段々を降り切って、だいぶ浮世とは縁が遠くなったと思ったら急に五六畳の部屋に出た。部屋と云っても坑を切り広げたもので、上と下がすぼまって、腹の所が膨《ふく》らんでいるから、まるで酒甕《さかがめ》の中へでも落込んだ有様である。あとから分った話だが、これは作事場《さくじば》と云うんで、技師の鑑定で、ここには鉱脈があるとなると、そこを掘り拡《ひろ》げて作事場にするんである。だから通り路よりは自然広い訳で、この作事場を坑夫が三人一組で、請負《うけおい》仕事に引受ける。二週間と見積ったのが、四日で済む事もあり、高が五日くらいと踏んだ作事に半月以上|食《くら》い込む事もある。こう云う訳で、シキ[#「シキ」に傍点]のなかに路ができて、路のはたに銅脈さえ見つかれば、御構《おかまい》なくそこだけを掘り抜いて行くんだから、電車の通るシキ[#「シキ」に傍点]の入口こそ、平らでもあり、また一条《ひとすじ》でもあるが、下へ折れて第一見張所のあたりからは、右へも左へも条路《えだみち》ができて、方々に作事場が建つ。その作事をしまうと、また銅脈を見つけては掘り抜いて行くんだから、シキ[#「シキ」に傍点]の中は細い路だらけで、また暗い坑だらけである。ちょうど蟻《あり》が地面を縦横に抜いて歩くようなものだろう。または書蠹《のむし》が本を食《くら》うと見立てても差《さ》し支《つかえ》ない。つまり人間が土の中で、銅《あかがね》を食って、食い尽すと、また銅を探し出して食いにゆくんでむやみに路がたくさんできてしまったんである。だから、いくらシキ[#「シキ」に傍点]の中を通っても、ただ通るだけで作事場へ出なければ坑夫には逢《あ》わない。かあんかあんという音はするが、音だけでは極《きわ》めて淋《さみ》しいものである。自分は初さんに連れられて、シキ[#「シキ」に傍点]へ這入《はい》ったが、ただシキ[#「シキ」に傍点]の様子を見るのが第一の目的であったためか、廻り道をして作事場へは寄らなかったと見えて、坑夫の仕事をしているところは、この段々の下へ来て、初めて見た。――稲妻形《いなずまがた》に段々を下りるときは、むやみに下りるばかりで、いくら下りても尽きないのみか、人っ子一人に逢《あ》わないものだから、はなはだ心細かったが、はじめて作事場へ出て、人間に逢ったら、大いに嬉しかった。
見ると丸太《まるた》の上に腰をかけている。数は三人だった。丸太は四《よ》つや丸太《まるた》で、軌道《レール》の枕木くらいなものだから、随分の重さである。どうして、ここまで運んで来たかとうてい想像がつかない。これは天井の陥落を防ぐため、少し広い所になると突っかい棒に張るために、シチュウ[#「シチュウ」に傍点]が必要な作事場へ置いて行くんだそうだ。その上に二人《ふたあり》腰を掛けて、残る一人が屈《しゃが》んで丸太へ向いている。そうして三人の間には小さな木の壺《つぼ》がある。伏せてある。一人がこの壺を上から抑《おさ》えている。三人が妙な叫び声を出した。抑えた壺をたちまち挙《あ》げた。下から賽《さい》が出た。――ところへ自分と初さんが這入った。
三人はひとしく眼を上げて、自分と初さんを見た。カンテラ[#「カンテラ」に傍点]が土の壁に突き刺してある。暗い灯《ひ》が、ぎろりと光る三人の眼球《めだま》を照らした。光ったものは実際眼球だけである。坑は固《もと》より暗い。明かるくなくっちゃならない灯も暗い。どす黒く燃えて煙《けぶり》を吹いている所は、濁った液体が動いてるように見えた。濁った先が黒くなって、煙と変化するや否や、この煙が暗いものの中に吸い込まれてしまう。だから坑の中がぼうとしている。そうして動いている。
カンテラ[#「カンテラ」に傍点]は三人の頭の上に刺さっていた。だから三人のうちで比較的|判然《はっきり》見えたのは、頭だけである。ところが三人共頭が黒いので、つまりは、見えないのと同じ事である。しかも三つとも集《かたま》っていたから、なおさら変であったが、自分が這入《はい》るや否や、三つの頭はたちまち離れた。その間から、壺《つぼ》が見えたんである。壺の下から賽《さい》が見えたんである。壺と、賽と、三人の異《い》な叫び声を聞いた自分は、次に三人
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