振った。
「上がるんなら取って上げよう」
 神さんはたちまち棚の上から木皿を一枚おろして、長い竹の箸《はし》で、饅頭をぽんぽんぽんと七つほど挟《はさ》み込んで、
「こっちがいいでしょう」
と木皿を、自分の腰を掛けていた床几《しょうぎ》の上へ持って行った。自分は仕方がないからまたもとの席へ帰って、木皿の隣へ腰を掛けた。見ると、もう蠅が飛んで来ている。自分は蠅と饅頭と木皿を眺《なが》めながら、どてら[#「どてら」に傍点]に向って
「一つどうです」
と云って見た。これはあながち「朝日」の御礼のためばかりではない。幾分かはどてら[#「どてら」に傍点]が一昨日揚げた蠅だらけの饅頭を食うだろうか食わないだろうか試して見る腹もあったらしい。するとどてら[#「どてら」に傍点]は
「や、すまない」
と云いながら、何の苦もなく一番上の奴《やつ》を取って頬張《ほおば》っちまった。唇《くちびる》の厚い口をもごつかせているところを観察すると、満更《まんざら》でもなさそうに見えた。そこで自分も思い切って、こちら側の下から、比較的|奇麗《きれい》なのを摘《つま》み出して、あんぐりやった。油の味が舌の上へ流れ出したと思う間もなく、その中から苦《にが》い餡《あん》が卒然として味覚を冒《おか》して来た。しかしこの際だから別にしまったとも思わなかった。難なく餡も皮も油もぐいと胃の腑《ふ》へ呑《の》み下《くだ》してしまったら、自然と手がまた木皿の方へ出たから不思議なものだ。どてら[#「どてら」に傍点]はこの時もう第二の饅頭を平らげて、第三に移っている。自分に比較すると大変速力が早い。そうして食ってる間は口を利《き》かない。働く事も儲《もう》かる事もまるで忘れているらしい。したがって七つの饅頭は呼吸《いき》を二三度するうちに無くなってしまった。しかも自分はたった二つしか食わない。残る五つは瞬《またた》く間《ま》にどてら[#「どてら」に傍点]のためにしてやられたのである。
 いかに逡巡《しりごみ》をするほどの汚《きた》ならしいものでも、一度皮切りをやると、あとはそれほど神経に障《さわ》らずに食えるものだ。これはあとで山へ行ってしみじみ経験した事で、今では何でもない陳腐《ちんぷ》の真理になってしまったが、その時は饅頭《まんじゅう》を食いながら少々|呆《あき》れたくらい後《あと》が食いたくなった。それに腹は減っている。その上相手がどてら[#「どてら」に傍点]である。このどてら[#「どてら」に傍点]が事もなげに、砂のついた饅頭をぱくつくところを見ると、多少は競争の気味にもなって、神経などは有っても役に立たない、起すだけが損だと云う心持になる。そこで自分はとうとう神さんにたのんで饅頭の御代《おかわ》りを貰《もら》った。
 今度は「一つ、どうです」とも何とも云わずに、木皿が床几《しょうぎ》の上に乗るや否や、自分の方でまず一つ頬張《ほおば》った。するとどてら[#「どてら」に傍点]も、「や、すまない」とも何とも云わずに、だまって一つ頬張った。次に自分がまた一つ頬張る。次にどてら[#「どてら」に傍点]がまた一つ頬張る。互違《たがいちがい》に頬張りっ子をして六つ目まで来た時、たった一つ残った。これが幸い自分の番に当っているので、どてら[#「どてら」に傍点]が手を出さないうちに、自分が頬張ってしまった。それからまた御代りを貰った。
「君だいぶやるね」
とどてら[#「どてら」に傍点]が云った。自分はだいぶやる気も何もなかったが、云われて見るとだいぶやるに違ない。しかしこれは初手《しょて》にどてら[#「どてら」に傍点]の方で自分の食いたくないものを、むしゃむしゃ食って見せて、自分の食慾を誘致した結果が与《あずか》って力あるようだ。ところがどてら[#「どてら」に傍点]の方では全然こっちの責任でだいぶやってるような口気《こうき》であった。だから自分は何だかどてら[#「どてら」に傍点]に対して弁解して見たい気がしたが、弁解する言葉がちょっと出て来なかった。ただ雲を攫《つか》むようにどてら[#「どてら」に傍点]にも責任があるんだろうと思うだけで、どこが責任なんだか分らなかったから黙っていた。すると
「君、揚饅頭がよっぽど好きと見えるね」
と今度は云った。饅頭にも寄り切りで、一昨日《おととい》揚げた砂だらけの蠅だらけの饅頭が好きな訳はない。と云って現に三皿まで代えて食うものを嫌《きらい》だとは無論云われない。だから今度も黙っていた。そこへ茶店の神さんが突然口を出した。――
「うちの御饅《おまん》は名代の御饅だから、みんなが旨《うま》がって食べるだよ」
 神さんの言葉を聞いた時自分は何だか馬鹿にされてるような気がした。そこでますます黙ってしまった。黙って聞いてると、
「旨い事この上なしだ」
とどてら[#「
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