た答である。大抵の事ならやって退《の》けるが、万一の場合には逃げを張る気と見えた。だからやりますと云わずにやる気です[#「気です」に傍点]と云ったんだろう。――こう自分の事を人の事のように書くのは何となく変だが、元来人間は締りのないものだから、はっきりした事はいくら自分の身の上だって、こうだとは云い切れない。まして過去の事になると自分も人も区別はありゃしない。すべてがだろう[#「だろう」に傍点]に変化してしまう。無責任だと云われるかも知れないが本当だから仕方がない。これからさきも危《あや》しいところはいつでもこの式で行くつもりだ。
そこでどてら[#「どてら」に傍点]は略《ほぼ》話が纏《まとま》ったものと呑《の》み込んで
「じゃ、まあ御這入《おはい》り。緩《ゆっ》くり御茶でも呑《の》んで話すから」
と云う。別に異存もないから、茶店に這入ってどてら[#「どてら」に傍点]の隣りに腰をおろしたら、口のゆがんだ四十ばかりの神《かみ》さんが妙な臭《にお》いのする茶を汲んで出した。茶を飲んだら、急に思い出したように腹が減って来た。減って来たのか、減っていたのに気がついたのか分らない。蟇口《がまぐち》には三十二銭這入っている、何か食おうかしらと考えていると
「君、煙草《たばこ》を呑むかい」
と、どてら[#「どてら」に傍点]が「朝日」の袋を横から差し出した。なかなか御世辞がいい。袋の角《かど》が裂けてるのは仕方がないが、何だか薄穢《うすぎた》なく垢《あか》づいた上に、びしゃりと押し潰《つぶ》されて、中にある煙草がかたまって、一本になってるように思われる。袖《そで》のないどてら[#「どてら」に傍点]だから、入れ所に窮して腹掛《はらがけ》の隠しへでも捩《ね》じ込んで置くものと見える。
「ありがとう、たくさんです」
と断ると、どてら[#「どてら」に傍点]は別に失望の体《てい》もなく、自分でかたまったうちの一本を、爪垢《つめあか》のたまった指先で引っ張り出した。はたせるかな煙草は皺《しわ》だらけになって、太刀《たち》のように反《そ》っている。それでも破けた所もないと見えて、すぱすぱ吸うと鼻から煙《けむ》が出る。際《きわ》どいところで煙草の用を足しているから不思議だ。
「御前さん、幾年《いくつ》になんなさる」
どてら[#「どてら」に傍点]は自分の事を御前さんと云ったり君と云ったりするようだが、何で区別するんだか要領を得ない。今までのところで察して見ると、儲《もう》かるときには君になって、不断の時には御前さんに復するようにも見える。何でも儲かる事がだいぶん気になっているらしい。
「十九です」
と答えた。実際その時は十九に違なかったのである。
「まだ若いんだね」
と口のゆがんだ神さんが、後向《うしろむき》になって盆を拭《ふ》きながら云った。後向きだから、どんな顔つきをしているか見えない。独《ひと》り言《ごと》だかどてら[#「どてら」に傍点]に話しかけてるんだか、それとも自分を相手にする気なんだか分らなかった。するとどてら[#「どてら」に傍点]は、さも調子づいた様子で、
「そうさ、十九じゃ若いもんだ。働き盛りだ」
と、どうしても働かなくっちゃならないような語気である。自分はだまって床几《しょうぎ》を離れた。
正面に駄菓子《だがし》を載《の》せる台があって、縁《ふち》の毀《と》れた菓子箱の傍《そば》に、大きな皿がある。上に青い布巾《ふきん》がかかっている下から、丸い揚饅頭《あげまんじゅう》が食《は》み出している。自分はこの饅頭が喰いたくなったから、腰を浮かして菓子台の前まで来たのだが、傍《そば》へ来て、つらつら饅頭《まんじゅう》の皿を覗《のぞ》き込んで見ると、恐ろしい蠅だ。しかもそれが皿の前で自分が留まるや否《いな》や足音にパッと四方に散ったんで、おやと思いながら、気を落ちつけて少しく揚饅頭を物色していると、散らばった蠅は、もう大風が通り越したから大丈夫だよと申し合せたように、再びぱっと饅頭の上へ飛び着いて来た。黄色《きいろ》い油切った皮の上に、黒いぽちぽちが出鱈目《でたらめ》にできる。手を出そうかなと思う矢先へもって来て、急に黒い斑点《はんてん》が、晴夜《せいや》の星宿《せいしゅく》のごとく、縦横に行列するんだから、少し辟易《へきえき》してしまって、ぼんやり皿を見下《みおろ》していた。
「御饅頭を上がんなさるかね。まだ新しい。一昨日《おととい》揚げたばかりだから」
かみさんは、いつの間《ま》にか盆を拭いてしまって、菓子台の向側《むこうがわ》に立っている。自分は不意と眼を上げて神さんを見た。すると神さんは何と思ったか、いきなり、節太《ふしぶと》の手を皿の上に翳《かざ》して、
「まあ、大変な蠅だ事」
と云いながら、翳した手を竪《たて》に切って、二三度左右へ
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