る。自分の立っている左右の二階屋などは――宿屋のように覚えているが――見上げるほどの高さであるのに、宿外れの軒を透《すか》して見ると、指の股《また》に這入《はい》ると思われるくらい低い。その途中に暖簾《のれん》が風に動いていたり、腰障子《こししょうじ》に大きな蛤《はまぐり》がかいてあったりして、多少の変化は無論あるけれども、軒並《のきなみ》だけを遠くまで追っ掛けて行くと、一里が半秒《はんセコンド》で眼の中に飛び込んで来る。それほど明瞭《めいりょう》である。
 前に云った通り自分の魂は二日酔《ふつかえい》の体《てい》たらくで、どこまでもとろんとしていた。ところへ停車場《ステーション》を出るや否や断りなしにこの明瞭な――盲目《めくら》にさえ明瞭なこの景色《けしき》にばったりぶつかったのである。魂の方では驚かなくっちゃならない。また実際驚いた。驚いたには違いないが、今まであやふやに不精不精《ふしょうぶしょう》に徘徊《はいかい》していた惰性を一変して屹《きっ》となるには、多少の時間がかかる。自分の前《さき》に云った一種妙な心持ちと云うのは、魂が寝返りを打たないさき、景色がいかにも明瞭であるなと心づいたあと、――その際《きわ》どい中間《ちゅうかん》に起った心持ちである。この景色はかように暢達《のびのび》して、かように明白で、今までの自分の情緒《じょうしょ》とは、まるで似つかない、景気のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界《げかい》に対《むか》い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢《のん》びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となるといかな御光《ごこう》でもありがた味が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態にいたため――明かな外界を明かなりと感受するほどの能力は持ちながら、これは実感であると自覚するほど作用が鋭くなかったため――この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明かな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼《はっきり》した快感をもって、他界の幻影《まぼろし》に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来の真中に立っている。その往来はあくまでも長くって、あくまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外《はずれ》まで行かれる。たしかにこの宿《しゅく》を通り抜ける事は
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