けて魂が逃げ出しそうなところを、ようやく呼びとめて、多少人間らしい了簡《りょうけん》になって、宿の中へ顔を出したばかりであるから、魂が吸《ひ》く息につれて、やっと胎内に舞い戻っただけで、まだふわふわしている。少しも落ちついていない。だからこの世にいても、この汽車から降りても、この停車場《ステーション》から出ても、またこの宿の真中に立っても、云わば魂がいやいやながら、義理に働いてくれたようなもので、けっして本気の沙汰《さた》で、自分の仕事として引き受けた専門の職責とは心得られなかったくらい、鈍《にぶ》い意識の所有者であった。そこで、ふらついている、気の遠くなっている、すべてに興味を失った、かなつぼ眼《まなこ》を開いて見ると、今までは汽車の箱に詰め込まれて、上下四方とも四角に仕切られていた限界が、はっと云う間《ま》に、一本筋の往還を沿うて、十丁ばかり飛んで行った。しかもその突当りに滴《したた》るほどの山が、自分の眼を遮《さえぎ》りながらも、邪魔にならぬ距離を有《たも》って、どろんとしたわが眸《ひとみ》を翠《みどり》の裡《うち》に吸寄せている。――そこで何んとなく今云ったような心持になっちまったのである。
第一には大道砥《だいどうと》のごとしと、成語にもなってるくらいで、平たい真直な道は蟠《わだか》まりのない爽《さわやか》なものである。もっと分り安く云うと、眼を迷《まご》つかせない。心配せずにこっちへ御出《おいで》と誘うようにでき上ってるから、少しも遠慮や気兼《きがね》をする必要がない。ばかりじゃない。御出と云うから一本筋の後《あと》を喰ッついて行くと、どこまでも行ける。奇体な事に眼が横町へ曲りたくない。道が真直に続いていればいるほど、眼も真直に行かなくっては、窮屈でかつ不愉快である。一本の大道は眼の自由行動と平行して成り上ったものと自分は堅く信じている。それから左右の家並《いえなみ》を見ると、――これは瓦葺《かわらぶき》も藁葺《わらぶき》もあるんだが――瓦葺だろうが、藁葺だろうが、そんな差別はない。遠くへ行けば行くほどしだいしだいに屋根が低くなって、何百軒とある家が、一本の針金で勾配《こうばい》を纏《まと》められるために向うのはずれからこっちまで突き通されてるように、行儀よく、斜《はす》に一筋を引っ張って、どこまでも進んでいる。そうして進めば進むほど、地面に近寄ってく
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