できる。左右の家は触《さわ》れば触る事が出来る。二階へ上《のぼ》れば上る事が出来る。できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象だけを眸《ひとみ》のなかに受けながら立っていた。
 自分は学者でないから、こう云う心持ちは何と云うんだか分らない。残念な事に名前を知らないのでついこう長くかいてしまった。学問のある人から見たら、そんな事をと笑われるかも知れないが仕方がない。その後《のち》これに似た心持は時々経験した事がある。しかしこの時ほど強く起った事はかつてない。だから、ひょっとすると何かの参考になりはすまいかと思って、わざわざここに書いたのである。ただしこの心持ちは起るとたちまち消えてしまった。
 見ると日はもう傾《かたぶ》きかけている。初夏《しょか》の日永《ひなが》の頃だから、日差《ひざし》から判断して見ると、まだ四時過ぎ、おそらく五時にはなるまい。山に近いせいか、天気は思ったほどよくないが、現に日が出ているくらいだから悪いとは云われない。自分は斜《はす》かけに、長い一筋の町を照らす太陽を眺《なが》めた時、あれが西の方だと思った。東京を出て北へ北へと走ったつもりだが、汽車から降りて見ると、まるで方角がわからなくなっていた。この町を真直に町の通ってるなりに、下《くだ》ると、突き当りが山で、その山は方角から推《お》すと、やはり北であるから、自分と長蔵さんは相変らず、北の方へ行くんだと思った。
 その山は距離から云うとだいぶんあるように思われた。高さもけっして低くはない。色は真蒼《まっさお》で、横から日の差す所だけが光るせいか、陰の方は蒼《あお》い底が黒ずんで見えた。もっともこれは日の加減と云うよりも杉檜《すぎひのき》の多いためかも知れない。ともかくも蓊欝《こんもり》として、奥深い様子であった。自分は傾《かたぶ》きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立だろうか、または続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、だんだん山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥のまたその奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々はことごとく北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、ただ行くだけでなかなか麓《ふもと》へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと
前へ 次へ
全167ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング