》とした。これはただ保養に寝ていた人ではない。全くの病人である。しかも自分だけで起居《たちい》のできないような重体の病人である。年は五十に近い。髯《ひげ》は幾日も剃《そ》らないと見えてぼうぼうと延びたままである。いかな獰猛《どうもう》も、こう憔悴《やつれ》ると憐《あわ》れになる。憐れになり過ぎて、逆にまた怖《こわ》くなる。自分がこの顔を一目見た時の感じは憐れの極《きょく》全く怖《こわ》かった。
 病人は二人に支えられながら、釣られるように、利《き》かない足を運ばして、窓の方へ近寄ってくる。この有様を見ていた、窓際の多人数《たにんず》は、さも面白そうに囃《はや》し立てる。
「よう、金《きん》しゅう早く来いよ。今ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]が通るところだ。早く来て見ろよ」
「己《おら》あジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]なんか見たかねえよ」
と病人は、無体《むたい》に引き摺《ず》られながら、気のない声で返事をするうちに、見たいも、見たくないもありゃしない。たちまち窓の障子《しょうじ》の角《かど》まで圧《お》しつけられてしまった。
 じゃじゃん、じゃららんとジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]は知らん顔で石垣の所へ現れてくる。行列はまだ尽きないのかと、また背延《せいの》びをして見下《みおろ》した時、自分は再び慄とした。金盥《かなだらい》と金盥の間に、四角な早桶《はやおけ》が挟《はさ》まって、山道を宙に釣られて行く。上は白金巾《しろかなきん》で包んで、細い杉丸太を通した両端《りょうたん》を、水でも一荷《いっか》頼まれたように、容赦なく担《かつ》いでいる。その担いでいるものまでも、こっちから見ると、例の唄《うた》を陽気にうたってるように思われる。――自分はこの時始めてジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]の意味を理解した。生涯《しょうがい》いかなる事があっても、けっして忘れられないほど痛切に理解した。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]は葬式である。坑夫、シチュウ[#「シチュウ」に傍点]、掘子《ほりこ》、山市《やまいち》に限って執行される、また執行されなければならない一種の葬式である。御経の文句を浪花節《なにわぶし》に唄《うた》って、金盥の潰《つぶ》れるほどに音楽を入れて、一荷《いっか》の水と同じように棺桶《かんおけ》をぶらつかせて――最後に、半死半生の病人を、無理矢
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