て無理に厭《いや》なものを口に入れてさえ、箸を置くや否や散々に嘲弄された。その時は随分つらい事と思ったが、その後《ご》日に三度ずつは、必ずこの南京米に対《むか》わなくっちゃならない身分となったんで、さすがの壁土も慣《な》れるに連《つ》れて、いわゆる銀米と同じく、人類の食い得べきもの、否食ってしかるべき滋味と心得るようになってからは、剥膳《はげぜん》に向って逡巡《しりごみ》した当時がかえって恥ずかしい気持になった。坑夫共の冷かしたのも万更《まんざら》無理ではない。今となると、こんな無経験な貴族的の坑夫が一杯の南京米を苦に病《や》むところに廻《めぐ》り合わせて、現状を目撃したら、ことに因《よ》ると、自分でさえ、笑うかも知れない。冷かさないまでも、善意に笑うだけの価値《ねうち》は十分あると思う。人はいろいろに変化するもんだ。
 南京米の事ばかり書いて済まないから、もうやめにするが、この時自分の失敗《しくじり》に対する冷評は、自然のままにして抛《ほう》って置いたなら、どこまで続いたか分らない。ところへ急に金盥《かなだらい》を叩《たた》き合せるような音がした。一度ではない。二度三度と聞いているうちに、じゃじゃん、じゃららんと時を句切《くぎ》って、拍子《ひょうし》を取りながら叩き立てて来る。すると今度は木唄《きやり》の声が聞え出した。純粋の木唄では無論ないが、自分の知ってる限りでは、まあ木唄と云うのが一番近いように思われる。この時冷評は一時にやんだ。ひっそりと静まり返る山の空気に、じゃじゃん、じゃららんが鳴り渡る間を、一種異様に唄《うた》い囃《はや》して何物か近づいて来た。
「ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ」
と一人が膝頭《ひざがしら》を打たないばかりに、大きな声を出すと、
「ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ」
と大勢口々に云いながら、黒い塊《かたまり》がばらばらになって、窓の方へ立って行った。自分は何がジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]なんだか分らないが、みんなの注意が、自分を離れると同時に、気分が急に暢達《のんびり》したせいか、自分もジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]を見たいと云う余裕ができて、余裕につれて元気も出来た。つくづく考えるに、人間の心は水のようなもので、押されると引き、引くと押して行く。始終手を出さない相
前へ 次へ
全167ページ中92ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング