の課目全体を承知の上で、自己の受持に当るようなもので、自他の関係を明かにして、文学の全体を一目に見渡すと同時に、自己の立脚地を知るの便宜《べんぎ》になる。今の評家はこの便宜を認めていない。認めても作っていない。ただ手当り次第にやる。述作に対すると思いついた事をいい加減に述べる。だから評し尽したのだか、まだ残っているのか当人にも判然しない。西洋も日本も同じ事である。
 これらの条項を遺憾《いかん》なく揃《そろ》えるためには過去の文学を材料とせねばならぬ。過去の批評を一括《いっかつ》してその変遷を知らねばならぬ。したがって上下数千年に渉《わた》って抽象的の工夫《くふう》を費やさねばならぬ。右から見ている人と左から眺めている人との関係を同じ平面にあつめて比較せねばならぬ。昔《むか》しの人の述作した精神と、今の人の支配を受くる潮流とを地図のように指《ゆびさ》し示さねばならぬ。要するに一人の事業ではない。一日の事業でもない。
 この条項を備えたる人にして始めて、この条項中に差等をつける事を考えてもよいと思う。人力も人を載せる。電車も人も載せる。両者を知ったものが始めて両者の利害長短を比較するの権
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