る余地がないから略す)もし感じ一方をもってあの作に対すれば全然愚作である。幸にしてオセロは事件の綜合《そうごう》と人格の発展が非常にうまく配合されて自然と悲劇に運び去る手際《てぎわ》がある。読者はそれを見ればいい。日本の芝居の仕組は支離滅裂である。馬鹿馬鹿しい。結構とか性格とか云う点からあれを見たならば抱腹するのが多いだろう。しかし幕に変化がある。出来事が走馬灯《そうまとう》のごとく人を驚かして続々出る。ここだけを面白がって、そのほかを忘れておればやはり幾分の興味がある。一九は御覧の通りの作者である。一九を読んで崇高の感がないと云うのは非難しようもない。崇高の感がないから排斥すべしと云うのは、文学と崇高の感と内容において全部一致した暁でなければ云えぬ事である。一九に点を与えるときには滑稽《こっけい》が下卑《げひ》であるから五十とか、諧謔《かいぎゃく》が自然だから九十とかきめなければならぬ。メリメのカルメンはカルメンと云う女性を描《えが》いて躍然たらしめている。あれを読んで人生問題の根元に触れていないから駄作だと云うのは数学の先生が英語の答案を見て方程式にあてはまらないから落第だと云うよ
前へ
次へ
全16ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング