白い。その代り沙翁の劇を賞翫《しょうがん》する態度でかかってはならぬ。読者の方で融通を利《き》かして、その作物と同じ平面に立つだけの余裕がなくてはならぬ。ほかに一例をあげる。また沙翁を引合に出すが、あの男のかいたものはすごぶる乱暴な所がある。劇の一段《シーン》がたった五六行で、始まるかと思うとすぐしまわねばならぬと思うのに、作者は大胆にも平気でいくらでも、こんな連鎖を設けている。無論マクベスの発端のように行数は短かくても、興味の上において全篇を貫く重みのあるものは論外であるが、平々凡々たるしかも十行内外の一段を設けるのは、話しの続きをあらわすためやむをえず挿入《そうにゅう》したのだと見え透《す》くように思われる。換言すれば彼の戯曲のあるものは齣幕の組織において明かに比例を失している。だから比例だけを眼中に置いてマーチャント・オブ・ヴェニスを読むものは必ず失敗の作だと云うだろう。マーチャント・オブ・ヴェニスはこの点から読むべきものでないと云う事がわかる。また沙翁を引き合に出す。オセロは四大悲劇の一である。しかし読んでけっして好い感じの起るものではない。不愉快である。(今はその理由を説明す
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