へい》はこの条項とこの法則を知らざるにある。ある人は煩悶《はんもん》を描《えが》かねば文学でないと云う。あるものは他にいかほどの採《と》るべき点があっても、事件に少しでも不自然があれば文学でないと云う。あるものは人間交渉の際卒然として起る際《きわ》どき真味[#「真味」に白丸傍点]がなければ文学でないと云う。あるものは平淡なる写生文に事件の発展がないのを見て文学でないと云う。しかして評家が従来の読書及び先輩の薫陶《くんとう》、もしくは自己の狭隘《きょうあい》なる経験より出でたる一縷《いちる》の細長き趣味中に含まるるもののみを見て真の文学だ、真の文学だと云う。余はこれを不快に思う。
余は評家ではない。前段に述べたる資格を有する評家では無論ない。したがって評家としての余の位地《いち》を高めんがためにこの篇を草したのではない。時間の許す限り世の評家と共に過去を研究して、出来得る限りこの根拠地《こんきょち》を作りたいと思う。思うについては自分一人でやるより広く天下の人と共にやる方がわが文界の慶事であるから云うのである。今の評家はかほどの事を知らぬ訳ではあるまいから、御互にこう云う了見《りょうけ
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