頭に残って居る。其代り人間の運命と云う事を主にして見ると、あまり成功して居らん。只《ただ》大内旅宿|丈《だけ》はうまく出来て居る。然しここには低徊趣味が全然欠乏している。(なぜ大内旅宿が成功して居るかを説明したいが、長くなるからやめる。大内旅宿|抔《など》は無余裕派の人で一言も批評をした事がない様であるが、あれは一見平凡な運命をかいたようで、そのうちに大いなる曲折と出来る限りの複雑の度を含んで居る。それであれ程の頁で済んで居るから低徊趣味のないのも無理はない。)
余は小説を区別して余裕派と非余裕派としてイブセンを後者の例に引いた。で前云った通り此種の小説の特色としては人生の死活問題を拉《らっ》し来《きた》って、切実なる運命の極致を写すのを特色とする。読者は此点を挙《あ》げて此種の作物を謳歌《おうか》し、余も亦《また》此点に於て此種の作物に敬服する。所で此種の作物に対する賞讃の辞を聞くと第一義とか、意味が深いとか、痛切とか、深刻とか云って居る。余は此賞讃の辞に対して是非を争う料簡《りょうけん》はない。ないがこれが小説の極致であるかと問われると、そうさなと首を傾《かたむ》けざるを得ない。
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