と劈頭第一に「畫はどうかね」と口を切つた。主人は平氣な顏をして「君の忠告に從つて寫生を力めて居るが、成程寫生をすると今迄氣のつかなかつた物の形や、色の精細な變化抔がよく分る樣だ。西洋では昔しから寫生を主張した結果今日の樣に發達したものと思はれる。さすがアンドレア、デル、サルト、だ」と日記の事はおくびにも出さないで、又アンドレア、デル、サルトに感心する。美學者は笑ひながら「實は君、あれは出鱈目だよ」と頭を掻く。「何が」と主人はまだ※はられた事に氣がつかない。「何がつて君の頻りに感服して居るアンドレア、デル、サルトさ。あれは僕の一寸捏造した話しだ。君がそんなに眞面目に信じ樣とは思はなかつたハヽヽヽ」と大喜悦の體である。吾輩は椽側で此對話を聞いて彼の今日の日記には如何なる事が記るさるゝであらうかと豫め想像せざるを得なかつた。此美學者はこんな好加減な事を吹き散らして人を擔ぐのを唯一の樂にして居る男である。彼はアンドレア、デル、サルト事件が主人の情線に如何なる響を傳へたかを毫も顧慮せざるものゝ如く得意になつて下の樣な事を饒舌つた。「いや時々冗談を言ふと人が眞に受けるので大に滑稽的美感を挑撥するの
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