黒いんだね」
「ええ、真黒です。ちょうど私には相当です」
「それで金田の方はどうする気だい」
「どうする気でもありません」
「そりゃ少し義理がわるかろう。ねえ迷亭」
「わるくもないさ。ほかへやりゃ同じ事だ。どうせ夫婦なんてものは闇の中で鉢合せをするようなものだ。要するに鉢合せをしないでもすむところをわざわざ鉢合せるんだから余計な事さ。すでに余計な事なら誰と誰の鉢が合ったって構いっこないよ。ただ気の毒なのは鴛鴦歌《えんおうか》を作った東風君くらいなものさ」
「なに鴛鴦歌は都合によって、こちらへ向け易《か》えてもよろしゅうございます。金田家の結婚式にはまた別に作りますから」
「さすが詩人だけあって自由自在なものだね」
「金田の方へ断わったかい」と主人はまだ金田を気にしている。
「いいえ。断わる訳がありません。私の方でくれとも、貰いたいとも、先方へ申し込んだ事はありませんから、黙っていれば沢山です。――なあに黙ってても沢山ですよ。今時分は探偵が十人も二十人もかかって一部始終残らず知れていますよ」
探偵と云う言語《ことば》を聞いた、主人は、急に苦《にが》い顔をして
「ふん、そんなら黙っていろ」と申し渡したが、それでも飽《あ》き足らなかったと見えて、なお探偵について下《しも》のような事をさも大議論のように述べられた。
「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間《ま》に雨戸をはずして人の所有品を偸《ぬす》むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑《すべ》らして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強《し》うるのが探偵だ。だから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族でとうてい人の風上《かざかみ》に置けるものではない。そんな奴の云う事を聞くと癖になる。決して負けるな」
「なに大丈夫です、探偵の千人や二千人、風上に隊伍を整えて襲撃したって怖《こわ》くはありません。珠磨《たます》りの名人理学士水島寒月でさあ」
「ひやひや見上げたものだ。さすが新婚学士ほどあって元気|旺盛《おうせい》なものだね。しかし苦沙弥さん。探偵がスリ、泥棒、強盗の同類なら、その探偵を使う金田君のごときものは何の同類だろう」
「熊坂長範《くまさかちょうはん》くらいなものだろう」
「熊坂はよかったね。一つと見えたる長範が二つになってぞ失《う》せにけりと云うが、あんな烏金《からすがね》で身代《しんだい》をつくった向横丁《むこうよこちょう》の長範なんかは業《ごう》つく張りの、慾張り屋だから、いくつになっても失せる気遣《きづかい》はないぜ。あんな奴につかまったら因果だよ。生涯《しょうがい》たたるよ、寒月君用心したまえ」
「なあに、いいですよ。ああら物々し盗人《ぬすびと》よ。手並はさきにも知りつらん。それにも懲《こ》りず打ち入るかって、ひどい目に合せてやりまさあ」と寒月君は自若として宝生流《ほうしょうりゅう》に気※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《きえん》を吐《は》いて見せる。
「探偵と云えば二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる傾向があるが、どう云う訳だろう」と独仙君は独仙君だけに時局問題には関係のない超然たる質問を呈出した。
「物価が高いせいでしょう」と寒月君が答える。
「芸術趣味を解しないからでしょう」と東風君が答える。
「人間に文明の角《つの》が生えて、金米糖《こんぺいとう》のようにいらいらするからさ」と迷亭君が答える。
今度は主人の番である。主人はもったい振《ぶ》った口調で、こんな議論を始めた。
「それは僕が大分《だいぶ》考えた事だ。僕の解釈によると当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心の強過ぎるのが原因になっている。僕の自覚心と名づけるのは独仙君の方で云う、見性成仏《けんしょうじょうぶつ》とか、自己は天地と同一体だとか云う悟道の類《たぐい》ではない。……」
「おや大分《だいぶ》むずかしくなって来たようだ。苦沙弥君、君にしてそんな大議論を舌頭《ぜっとう》に弄《ろう》する以上は、かく申す迷亭も憚《はばか》りながら御あとで現代の文明に対する不平を堂々と云うよ」
「勝手に云うがいい、云う事もない癖に」
「ところがある。大《おおい》にある。君なぞはせんだっては刑事巡査を神のごとく敬《うやま》い、また今日は探偵をスリ泥棒に比し、まるで矛盾の変怪《へんげ》だが、僕などは終始一貫|父母未生《ふもみしょう》以前《いぜん》からただ今に至るまで、かつて自説を変じた事のない男だ」
「刑事は刑事だ。探偵は探偵だ。せんだってはせんだってで今日は今日だ。自説が変らないのは発達しない証拠だ。下愚《かぐ》は移らずと云うのは君の事だ。……」
「これはきびしい。探偵もそうまともにくると可愛いところがある」
「おれが探偵」
「探偵でないから、正直でいいと云うのだよ。喧嘩はおやめおやめ。さあ。その大議論のあとを拝聴しよう」
「今の人の自覚心と云うのは自己と他人の間に截然《せつぜん》たる利害の鴻溝《こうこう》があると云う事を知り過ぎていると云う事だ。そうしてこの自覚心なるものは文明が進むにしたがって一日一日と鋭敏になって行くから、しまいには一挙手一投足も自然天然とは出来ないようになる。ヘンレーと云う人がスチーヴンソンを評して彼は鏡のかかった部屋に入《はい》って、鏡の前を通る毎《ごと》に自己の影を写して見なければ気が済まぬほど瞬時も自己を忘るる事の出来ない人だと評したのは、よく今日《こんにち》の趨勢《すうせい》を言いあらわしている。寝てもおれ、覚《さ》めてもおれ、このおれが至るところにつけまつわっているから、人間の行為言動が人工的にコセつくばかり、自分で窮屈になるばかり、世の中が苦しくなるばかり、ちょうど見合をする若い男女の心持ちで朝から晩までくらさなければならない。悠々《ゆうゆう》とか従容《しょうよう》とか云う字は劃《かく》があって意味のない言葉になってしまう。この点において今代《きんだい》の人は探偵的である。泥棒的である。探偵は人の目を掠《かす》めて自分だけうまい事をしようと云う商売だから、勢《いきおい》自覚心が強くならなくては出来ん。泥棒も捕《つか》まるか、見つかるかと云う心配が念頭を離れる事がないから、勢自覚心が強くならざるを得ない。今の人はどうしたら己《おの》れの利になるか、損になるかと寝ても醒《さ》めても考えつづけだから、勢探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるを得ない。二六時中キョトキョト、コソコソして墓に入《い》るまで一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の咒詛《じゅそ》だ。馬鹿馬鹿しい」
「なるほど面白い解釈だ」と独仙君が云い出した。こんな問題になると独仙君はなかなか引込《ひっこ》んでいない男である。「苦沙弥君の説明はよく我意《わがい》を得ている。昔《むか》しの人は己れを忘れろと教えたものだ。今の人は己れを忘れるなと教えるからまるで違う。二六時中己れと云う意識をもって充満している。それだから二六時中太平の時はない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が薬だと云って己れを忘れるより薬な事はない。三更月下《さんこうげっか》入無我《むがにいる》とはこの至境を咏《えい》じたものさ。今の人は親切をしても自然をかいている。英吉利《イギリス》のナイスなどと自慢する行為も存外自覚心が張り切れそうになっている。英国の天子が印度《インド》へ遊びに行って、印度の王族と食卓を共にした時に、その王族が天子の前とも心づかずに、つい自国の我流を出して馬鈴薯《じゃがいも》を手攫《てづか》みで皿へとって、あとから真赤《まっか》になって愧《は》じ入ったら、天子は知らん顔をしてやはり二本指で馬鈴薯を皿へとったそうだ……」
「それが英吉利趣味ですか」これは寒月君の質問であった。
「僕はこんな話を聞いた」と主人が後《あと》をつける。「やはり英国のある兵営で聯隊の士官が大勢して一人の下士官を御馳走した事がある。御馳走が済んで手を洗う水を硝子鉢《ガラスばち》へ入れて出したら、この下士官は宴会になれんと見えて、硝子鉢を口へあてて中の水をぐうと飲んでしまった。すると聯隊長が突然下士官の健康を祝すと云いながら、やはりフ※[#小書き片仮名ヒ、1−6−84]ンガー・ボールの水を一息に飲み干したそうだ。そこで並《な》みいる士官も我劣らじと水盃《みずさかずき》を挙げて下士官の健康を祝したと云うぜ」
「こんな噺《はなし》もあるよ」とだまってる事の嫌《きらい》な迷亭君が云った。「カーライルが始めて女皇《じょこう》に謁した時、宮廷の礼に嫻《なら》わぬ変物《へんぶつ》の事だから、先生突然どうですと云いながら、どさりと椅子へ腰をおろした。ところが女皇の後《うし》ろに立っていた大勢の侍従や官女がみんなくすくす笑い出した――出したのではない、出そうとしたのさ、すると女皇が後ろを向いて、ちょっと何か相図をしたら、多勢《おおぜい》の侍従官女がいつの間《ま》にかみんな椅子へ腰をかけて、カーライルは面目を失わなかったと云うんだが随分御念の入った親切もあったもんだ」
「カーライルの事なら、みんなが立ってても平気だったかも知れませんよ」と寒月君が短評を試みた。
「親切の方の自覚心はまあいいがね」と独仙君は進行する。「自覚心があるだけ親切をするにも骨が折れる訳になる。気の毒な事さ。文明が進むに従って殺伐の気がなくなる、個人と個人の交際がおだやかになるなどと普通云うが大間違いさ。こんなに自覚心が強くって、どうしておだやかになれるものか。なるほどちょっと見るとごくしずかで無事なようだが、御互の間は非常に苦しいのさ。ちょうど相撲が土俵の真中で四《よ》つに組んで動かないようなものだろう。はたから見ると平穏至極だが当人の腹は波を打っているじゃないか」
「喧嘩《けんか》も昔《むか》しの喧嘩は暴力で圧迫するのだからかえって罪はなかったが、近頃じゃなかなか巧妙になってるからなおなお自覚心が増してくるんだね」と番が迷亭先生の頭の上に廻って来る。「ベーコンの言葉に自然の力に従って始めて自然に勝つとあるが、今の喧嘩は正にベーコンの格言通りに出来上ってるから不思議だ。ちょうど柔術のようなものさ。敵の力を利用して敵を斃《たお》す事を考える……」
「または水力電気のようなものですね。水の力に逆らわないでかえってこれを電力に変化して立派に役に立たせる……」と寒月君が言いかけると、独仙君がすぐそのあとを引き取った。「だから貧時《ひんじ》には貧《ひん》に縛《ばく》せられ、富時《ふじ》には富《ふ》に縛せられ、憂時《ゆうじ》には憂《ゆう》に縛せられ、喜時《きじ》には喜《き》に縛せられるのさ。才人は才に斃《たお》れ、智者は智に敗れ、苦沙弥君のような癇癪持《かんしゃくも》ちは癇癪を利用さえすればすぐに飛び出して敵のぺてんに罹《かか》る……」
「ひやひや」と迷亭君が手をたたくと、苦沙弥君はにやにや笑いながら「これでなかなかそう甘《うま》くは行かないのだよ」と答えたら、みんな一度に笑い出した。
「時に金田のようなのは何で斃れるだろう」
「女房は鼻で斃れ、主人は因業《いんごう》で斃れ、子分は探偵で斃れか」
「娘は?」
「娘は――娘は見た事がないから何とも云えないが――まず着倒れか、食い倒れ、もしくは呑んだくれの類《たぐい》だろう。よもや恋い倒れにはなるまい。ことによると卒塔婆小町《そとばこまち》のように行き倒れになるかも知れない」
「それは少しひどい」と新体詩を捧げただけに東風君が異議を申し立てた。
「だから応無所住《おうむしょじゅう》而《に》生其心《しょうごしん》と云うのは大事な言葉だ、そう云う境界《きょうがい》に至らんと人間は苦しくてならん」と独仙君しきりに独《ひと》り悟ったような事を云う。
「そう威張るもんじゃないよ。君などはことによると電光影裏《でんこうえいり》にさか倒れをやるかも知れないぜ」
「とにかくこの勢で文明が進んで行った日にや僕は生きてるのはいやだ」と主人がいい出した。
「遠慮はい
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