いわんや霜《しも》においてをやで、軒下に立ち明かして、日の出を待つのは、どんなに辛《つら》いかとうてい想像が出来るものではない。この間しめ出しを食った時なぞは野良犬の襲撃を蒙《こうむ》って、すでに危うく見えたところを、ようやくの事で物置の家根《やね》へかけ上《あが》って、終夜|顫《ふる》えつづけた事さえある。これ等は皆御三の不人情から胚胎《はいたい》した不都合である。こんなものを相手にして鳴いて見せたって、感応《かんのう》のあるはずはないのだが、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみと云うくらいだから、たいていの事ならやる気になる。にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をして見た。自分ではベトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音《おん》と確信しているのだが御三には何等の影響も生じないようだ。御三は突然膝をついて、揚げ板を一枚はね除《の》けて、中から堅炭の四寸ばかり長いのを一本つかみ出した。それからその長い奴を七輪《しちりん》の角でぽんぽんと敲《たた》いたら、長いのが三つほどに砕けて近所は炭の粉で真黒くなった。少々は汁の中へも這入《はい》ったらしい。御三はそんな事に頓着する女ではない。直ちにくだけたる三個の炭を鍋《なべ》の尻から七輪の中へ押し込んだ。とうてい吾輩のシンフォニーには耳を傾けそうにもない。仕方がないから悄然《しょうぜん》と茶の間の方へ引きかえそうとして風呂場の横を通り過ぎると、ここは今女の子が三人で顔を洗ってる最中で、なかなか繁昌《はんじょう》している。
 顔を洗うと云ったところで、上の二人が幼稚園の生徒で、三番目は姉の尻についてさえ行かれないくらい小さいのだから、正式に顔が洗えて、器用に御化粧が出来るはずがない。一番小さいのがバケツの中から濡《ぬ》れ雑巾《ぞうきん》を引きずり出してしきりに顔中|撫《な》で廻わしている。雑巾で顔を洗うのは定めし心持ちがわるかろうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわ[#「おもちろいわ」に傍点]と云う子だからこのくらいの事はあっても驚ろくに足らん。ことによると八木独仙君より悟っているかも知れない。さすがに長女は長女だけに、姉をもって自《みずか》ら任じているから、うがい茶碗をからからかんと抛出《ほうりだ》して「坊やちゃん、それは雑巾よ」と雑巾をとりにかかる。坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉の云う事なんか聞きそうにしない。「いやーよ、ばぶ」と云いながら雑巾を引っ張り返した。このばぶ[#「ばぶ」に傍点]なる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しているか、誰も知ってるものがない。ただこの坊やちゃんが癇癪《かんしゃく》を起した時に折々ご使用になるばかりだ。雑巾はこの時姉の手と、坊やちゃんの手で左右に引っ張られるから、水を含んだ真中からぽたぽた雫《しずく》が垂《た》れて、容赦なく坊やの足にかかる、足だけなら我慢するが膝のあたりがしたたか濡れる。坊やはこれでも元禄《げんろく》を着ているのである。元禄とは何の事だとだんだん聞いて見ると、中形《ちゅうがた》の模様なら何でも元禄だそうだ。一体だれに教わって来たものか分らない。「坊やちゃん、元禄が濡れるから御よしなさい、ね」と姉が洒落《しゃ》れた事を云う。その癖《くせ》この姉はついこの間まで元禄と双六《すごろく》とを間違えていた物識《ものし》りである。
 元禄で思い出したからついでに喋舌《しゃべ》ってしまうが、この子供の言葉ちがいをやる事は夥《おびただ》しいもので、折々人を馬鹿にしたような間違を云ってる。火事で茸《きのこ》が飛んで来たり、御茶《おちゃ》の味噌《みそ》の女学校へ行ったり、恵比寿《えびす》、台所《だいどこ》と並べたり、或る時などは「わたしゃ藁店《わらだな》の子じゃないわ」と云うから、よくよく聞き糺《ただ》して見ると裏店《うらだな》と藁店を混同していたりする。主人はこんな間違を聞くたびに笑っているが、自分が学校へ出て英語を教える時などは、これよりも滑稽な誤謬《ごびゅう》を真面目になって、生徒に聞かせるのだろう。
 坊やは――当人は坊やとは云わない。いつでも坊ば[#「坊ば」に傍点]と云う――元禄が濡れたのを見て「元《げん》どこ[#「どこ」に傍点]がべたい[#「べたい」に傍点]」と云って泣き出した。元禄が冷たくては大変だから、御三が台所から飛び出して来て、雑巾を取上げて着物を拭《ふ》いてやる。この騒動中比較的静かであったのは、次女のすん子嬢である。すん子嬢は向うむきになって棚の上からころがり落ちた、お白粉《しろい》の瓶《びん》をあけて、しきりに御化粧を施《ほどこ》している。第一に突っ込んだ指をもって鼻の頭をキューと撫《な》でたから竪《たて》に一本白い筋が通って、鼻のありかがいささか分明《ぶんみょう》になって来た。次に塗りつけた指を転じて頬の上を摩擦したから、そこへもってきて、これまた白いかたまりが出来上った。これだけ装飾がととのったところへ、下女がはいって来て坊ばの着物を拭いたついでに、すん子の顔もふいてしまった。すん子は少々不満の体《てい》に見えた。
 吾輩はこの光景を横に見て、茶の間から主人の寝室まで来てもう起きたかとひそかに様子をうかがって見ると、主人の頭がどこにも見えない。その代り十文半《ともんはん》の甲の高い足が、夜具の裾《すそ》から一本|食《は》み出している。頭が出ていては起こされる時に迷惑だと思って、かくもぐり込んだのであろう。亀の子のような男である。ところへ書斎の掃除をしてしまった妻君がまた箒《ほうき》とはたき[#「はたき」に傍点]を担《かつ》いでやってくる。最前《さいぜん》のように襖《ふすま》の入口から
「まだお起きにならないのですか」と声をかけたまま、しばらく立って、首の出ない夜具を見つめていた。今度も返事がない。細君は入口から二歩《ふたあし》ばかり進んで、箒をとんと突きながら「まだなんですか、あなた」と重ねて返事を承わる。この時主人はすでに目が覚《さ》めている。覚めているから、細君の襲撃にそなうるため、あらかじめ夜具の中に首もろとも立て籠《こも》ったのである。首さえ出さなければ、見逃《みのが》してくれる事もあろうかと、詰まらない事を頼みにして寝ていたところ、なかなか許しそうもない。しかし第一回の声は敷居の上で、少くとも一間の間隔があったから、まず安心と腹のうちで思っていると、とんと突いた箒が何でも三尺くらいの距離に追っていたにはちょっと驚ろいた。のみならず第二の「まだなんですか、あなた」が距離においても音量においても前よりも倍以上の勢を以て夜具のなかまで聞えたから、こいつは駄目だと覚悟をして、小さな声でうん[#「うん」に傍点]と返事をした。
「九時までにいらっしゃるのでしょう。早くなさらないと間に合いませんよ」
「そんなに言わなくても今起きる」と夜着《よぎ》の袖口《そでぐち》から答えたのは奇観である。妻君はいつでもこの手を食って、起きるかと思って安心していると、また寝込まれつけているから、油断は出来ないと「さあお起きなさい」とせめ立てる。起きると云うのに、なお起きろと責めるのは気に食わんものだ。主人のごとき我儘者《わがままもの》にはなお気に食わん。ここにおいてか主人は今まで頭から被《かぶ》っていた夜着を一度に跳《は》ねのけた。見ると大きな眼を二つとも開《あ》いている。
「何だ騒々しい。起きると云えば起きるのだ」
「起きるとおっしゃってもお起きなさらんじゃありませんか」
「誰がいつ、そんな嘘《うそ》をついた」
「いつでもですわ」
「馬鹿を云え」
「どっちが馬鹿だか分りゃしない」と妻君ぷんとして箒を突いて枕元に立っているところは勇ましかった。この時裏の車屋の子供、八っちゃんが急に大きな声をしてワーと泣き出す。八っちゃんは主人が怒《おこ》り出しさえすれば必ず泣き出すべく、車屋のかみさんから命ぜられるのである。かみさんは主人が怒るたんびに八っちゃんを泣かして小遣《こづかい》になるかも知れんが、八っちゃんこそいい迷惑だ。こんな御袋《おふくろ》を持ったが最後朝から晩まで泣き通しに泣いていなくてはならない。少しはこの辺の事情を察して主人も少々怒るのを差し控《ひか》えてやったら、八っちゃんの寿命が少しは延びるだろうに、いくら金田君から頼まれたって、こんな愚《ぐ》な事をするのは、天道公平君よりもはげしくおいでになっている方だと鑑定してもよかろう。怒るたんびに泣かせられるだけなら、まだ余裕もあるけれども、金田君が近所のゴロツキを傭《やと》って今戸焼《いまどやき》をきめ込むたびに、八っちゃんは泣かねばならんのである。主人が怒るか怒らぬか、まだ判然しないうちから、必ず怒るべきものと予想して、早手廻しに八っちゃんは泣いているのである。こうなると主人が八っちゃんだか、八っちゃんが主人だか判然しなくなる。主人にあてつけるに手数《てすう》は掛らない、ちょっと八っちゃんに剣突《けんつく》を食わせれば何の苦もなく、主人の横《よこ》っ面《つら》を張った訳になる。昔《むか》し西洋で犯罪者を所刑にする時に、本人が国境外に逃亡して、捕《とら》えられん時は、偶像をつくって人間の代りに火《ひ》あぶり[#「あぶり」に傍点]にしたと云うが、彼等のうちにも西洋の故事に通暁《つうぎょう》する軍師があると見えて、うまい計略を授けたものである。落雲館と云い、八っちゃんの御袋と云い、腕のきかぬ主人にとっては定めし苦手《にがて》であろう。そのほか苦手はいろいろある。あるいは町内中ことごとく苦手かも知れんが、ただいまは関係がないから、だんだん成し崩しに紹介致す事にする。
 八っちゃんの泣き声を聞いた主人は、朝っぱらからよほど癇癪《かんしゃく》が起ったと見えて、たちまちがばと布団《ふとん》の上に起き直った。こうなると精神修養も八木独仙も何もあったものじゃない。起き直りながら両方の手でゴシゴシゴシと表皮のむけるほど、頭中引き掻《か》き廻す。一ヵ月も溜っているフケは遠慮なく、頸筋《くびすじ》やら、寝巻の襟《えり》へ飛んでくる。非常な壮観である。髯《ひげ》はどうだと見るとこれはまた驚ろくべく、ぴん然とおっ立っている。持主が怒《おこ》っているのに髯だけ落ちついていてはすまないとでも心得たものか、一本一本に癇癪《かんしゃく》を起して、勝手次第の方角へ猛烈なる勢をもって突進している。これとてもなかなかの見物《みもの》である。昨日《きのう》は鏡の手前もある事だから、おとなしく独乙《ドイツ》皇帝陛下の真似をして整列したのであるが、一晩寝れば訓練も何もあった者ではない、直ちに本来の面目に帰って思い思いの出《い》で立《たち》に戻るのである。あたかも主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になると拭《ぬぐ》うがごとく奇麗に消え去って、生れついての野猪的《やちょてき》本領が直ちに全面を暴露し来《きた》るのと一般である。こんな乱暴な髯をもっている、こんな乱暴な男が、よくまあ今まで免職にもならずに教師が勤まったものだと思うと、始めて日本の広い事がわかる。広ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用しているのでもあろう。彼等が人間として通用する間は主人も免職になる理由がないと確信しているらしい。いざとなれば巣鴨へ端書《はがき》を飛ばして天道公平君に聞き合せて見れば、すぐ分る事だ。
 この時主人は、昨日《きのう》紹介した混沌《こんとん》たる太古の眼を精一杯に見張って、向うの戸棚をきっと見た。これは高さ一間を横に仕切って上下共|各《おのおの》二枚の袋戸をはめたものである。下の方の戸棚は、布団《ふとん》の裾《すそ》とすれすれの距離にあるから、起き直った主人が眼をあきさえすれば、天然自然ここに視線がむくように出来ている。見ると模様を置いた紙がところどころ破れて妙な腸《はらわた》があからさまに見える。腸にはいろいろなのがある。あるものは活版摺《かっぱんずり》で、あるものは肉筆である。あるものは裏返しで、あるものは逆さまである。主人はこの腸を見ると同時に、何がか
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