ネんだろう」
「そうでもないようだ」
「そうでなくても構わないさ。どうせ気狂だもの。それっきりかい」
「まだある。苦沙弥先生御茶でも上がれと云う句がある」
「アハハハ御茶でも上がれはきびし過ぎる。それで大《おおい》に君をやり込めたつもりに違ない。大出来だ。天道公平君万歳だ」と迷亭先生は面白がって、大に笑い出す。主人は少からざる尊敬をもって反覆|読誦《どくしょう》した書翰《しょかん》の差出人が金箔《きんぱく》つきの狂人であると知ってから、最前の熱心と苦心が何だか無駄骨のような気がして腹立たしくもあり、また瘋癲病《ふうてんびょう》者の文章をさほど心労して翫味《がんみ》したかと思うと恥ずかしくもあり、最後に狂人の作にこれほど感服する以上は自分も多少神経に異状がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚愧《ざんき》と、心配の合併した状態で何だか落ちつかない顔付をして控《ひか》えている。
折から表格子をあららかに開けて、重い靴の音が二た足ほど沓脱《くつぬぎ》に響いたと思ったら「ちょっと頼みます、ちょっと頼みます」と大きな声がする。主人の尻の重いに反して迷亭はまたすこぶる気軽な男であるから、御三《おさん》の取次に出るのも待たず、通れ[#「通れ」に傍点]と云いながら隔ての中の間《ま》を二た足ばかりに飛び越えて玄関に躍《おど》り出した。人のうちへ案内も乞わずにつかつか這入《はい》り込むところは迷惑のようだが、人のうちへ這入った以上は書生同様取次を務《つと》めるからはなはだ便利である。いくら迷亭でも御客さんには相違ない、その御客さんが玄関へ出張するのに主人たる苦沙弥先生が座敷へ構え込んで動かん法はない。普通の男ならあとから引き続いて出陣すべきはずであるが、そこが苦沙弥先生である。平気に座布団の上へ尻を落ちつけている。但《ただ》し落ちつけているのと、落ちついているのとは、その趣は大分《だいぶ》似ているが、その実質はよほど違う。
玄関へ飛び出した迷亭は何かしきりに弁じていたが、やがて奥の方を向いて「おい御主人ちょっと御足労だが出てくれたまえ。君でなくっちゃ、間に合わない」と大きな声を出す。主人はやむを得ず懐手《ふところで》のままのそりのそりと出てくる。見ると迷亭君は一枚の名刺を握ったまましゃがんで挨拶をしている。すこぶる威厳のない腰つきである。その名刺には警視庁刑事巡査|吉田虎蔵《よしだとらぞう》とある。虎蔵君と並んで立っているのは二十五六の背《せい》の高い、いなせ[#「いなせ」に傍点]な唐桟《とうざん》ずくめの男である。妙な事にこの男は主人と同じく懐手をしたまま、無言で突立《つった》っている。何だか見たような顔だと思ってよくよく観察すると、見たようなどころじゃない。この間深夜御来訪になって山《やま》の芋《いも》を持って行かれた泥棒君である。おや今度は白昼公然と玄関からおいでになったな。
「おいこの方《かた》は刑事巡査でせんだっての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろと云うんで、わざわざおいでになったんだよ」
主人はようやく刑事が踏み込んだ理由が分ったと見えて、頭をさげて泥棒の方を向いて鄭寧《ていねい》に御辞儀をした。泥棒の方が虎蔵君より男振りがいいので、こっちが刑事だと早合点《はやがてん》をしたのだろう。泥棒も驚ろいたに相違ないが、まさか私《わたし》が泥棒ですよと断わる訳にも行かなかったと見えて、すまして立っている。やはり懐手のままである。もっとも手錠《てじょう》をはめているのだから、出そうと云っても出る気遣《きづかい》はない。通例のものならこの様子でたいていはわかるはずだが、この主人は当世の人間に似合わず、むやみに役人や警察をありがたがる癖がある。御上《おかみ》の御威光となると非常に恐しいものと心得ている。もっとも理論上から云うと、巡査なぞは自分達が金を出して番人に雇っておくのだくらいの事は心得ているのだが、実際に臨むといやにへえへえする。主人のおやじはその昔場末の名主であったから、上の者にぴょこぴょこ頭を下げて暮した習慣が、因果となってかように子に酬《むく》ったのかも知れない。まことに気の毒な至りである。
巡査はおかしかったと見えて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までに日本堤《にほんづつみ》の分署まで来て下さい。――盗難品は何と何でしたかね」
「盗難品は……」と云いかけたが、あいにく先生たいがい忘れている。ただ覚えているのは多々良三平《たたらさんぺい》の山の芋だけである。山の芋などはどうでも構わんと思ったが、盗難品は……と云いかけてあとが出ないのはいかにも与太郎《よたろう》のようで体裁《ていさい》がわるい。人が盗まれたのならいざ知らず、自分が盗まれておきながら、明瞭の答が出来んのは一人前《いちにんまえ》ではない証拠だと、思い切って「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。
泥棒はこの時よほどおかしかったと見えて、下を向いて着物の襟《えり》へあごを入れた。迷亭はアハハハと笑いながら「山の芋がよほど惜しかったと見えるね」と云った。巡査だけは存外真面目である。
「山の芋は出ないようだがほかの物件はたいがい戻ったようです。――まあ来て見たら分るでしょう。それでね、下げ渡したら請書《うけしょ》が入るから、印形《いんぎょう》を忘れずに持っておいでなさい。――九時までに来なくってはいかん。日本堤《にほんづつみ》分署《ぶんしょ》です。――浅草警察署の管轄内《かんかつない》の日本堤分署です。――それじゃ、さようなら」と独《ひと》りで弁じて帰って行く。泥棒君も続いて門を出る。手が出せないので、門をしめる事が出来ないから開け放しのまま行ってしまった。恐れ入りながらも不平と見えて、主人は頬をふくらして、ぴしゃりと立て切った。
「アハハハ君は刑事を大変尊敬するね。つねにああ云う恭謙《きょうけん》な態度を持ってるといい男だが、君は巡査だけに鄭寧《ていねい》なんだから困る」
「だってせっかく知らせて来てくれたんじゃないか」
「知らせに来るったって、先は商売だよ。当り前にあしらってりゃ沢山だ」
「しかしただの商売じゃない」
「無論ただの商売じゃない。探偵と云ういけすかない商売さ。あたり前の商売より下等だね」
「君そんな事を云うと、ひどい目に逢うぜ」
「ハハハそれじゃ刑事の悪口《わるくち》はやめにしよう。しかし刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至っては、驚かざるを得んよ」
「誰が泥棒を尊敬したい」
「君がしたのさ」
「僕が泥棒に近付きがあるもんか」
「あるもんかって君は泥棒にお辞儀をしたじゃないか」
「いつ?」
「たった今|平身低頭《へいしんていとう》したじゃないか」
「馬鹿あ云ってら、あれは刑事だね」
「刑事があんななり[#「なり」に傍点]をするものか」
「刑事だからあんななり[#「なり」に傍点]をするんじゃないか」
「頑固《がんこ》だな」
「君こそ頑固だ」
「まあ第一、刑事が人の所へ来てあんなに懐手《ふところで》なんかして、突立《つった》っているものかね」
「刑事だって懐手をしないとは限るまい」
「そう猛烈にやって来ては恐れ入るがね。君がお辞儀をする間あいつは始終あのままで立っていたのだぜ」
「刑事だからそのくらいの事はあるかも知れんさ」
「どうも自信家だな。いくら云っても聞かないね」
「聞かないさ。君は口先ばかりで泥棒だ泥棒だと云ってるだけで、その泥棒がはいるところを見届けた訳じゃないんだから。ただそう思って独《ひと》りで強情を張ってるんだ」
迷亭もここにおいてとうてい済度《さいど》すべからざる男と断念したものと見えて、例に似ず黙ってしまった。主人は久し振りで迷亭を凹《へこ》ましたと思って大得意である。迷亭から見ると主人の価値は強情を張っただけ下落したつもりであるが、主人から云うと強情を張っただけ迷亭よりえらくなったのである。世の中にはこんな頓珍漢《とんちんかん》な事はままある。強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場は遥《はる》かに下落してしまう。不思議な事に頑固の本人は死ぬまで自分は面目《めんぼく》を施こしたつもりかなにかで、その時以後人が軽蔑《けいべつ》して相手にしてくれないのだとは夢にも悟り得ない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。
「ともかくもあした行くつもりかい」
「行くとも、九時までに来いと云うから、八時から出て行く」
「学校はどうする」
「休むさ。学校なんか」と擲《たた》きつけるように云ったのは壮《さかん》なものだった。
「えらい勢《いきおい》だね。休んでもいいのかい」
「いいとも僕の学校は月給だから、差し引かれる気遣《きづかい》はない、大丈夫だ」と真直に白状してしまった。ずるい[#「ずるい」に傍点]事もずるい[#「ずるい」に傍点]が、単純なことも単純なものだ。
「君、行くのはいいが路を知ってるかい」
「知るものか。車に乗って行けば訳はないだろう」とぷんぷんしている。
「静岡の伯父に譲らざる東京通なるには恐れ入る」
「いくらでも恐れ入るがいい」
「ハハハ日本堤分署と云うのはね、君ただの所じゃないよ。吉原《よしわら》だよ」
「何だ?」
「吉原だよ」
「あの遊廓のある吉原か?」
「そうさ、吉原と云やあ、東京に一つしかないやね。どうだ、行って見る気かい」と迷亭君またからかいかける。
主人は吉原と聞いて、そいつは[#「そいつは」に傍点]と少々|逡巡《しゅんじゅん》の体《てい》であったが、たちまち思い返して「吉原だろうが、遊廓だろうが、いったん行くと云った以上はきっと行く」と入らざるところに力味《りきん》で見せた。愚人は得てこんなところに意地を張るものだ。
迷亭君は「まあ面白かろう、見て来たまえ」と云ったのみである。一波瀾《ひとはらん》を生じた刑事事件はこれで一先《ひとま》ず落着《らくちゃく》を告げた。迷亭はそれから相変らず駄弁を弄《ろう》して日暮れ方、あまり遅くなると伯父に怒《おこ》られると云って帰って行った。
迷亭が帰ってから、そこそこに晩飯をすまして、また書斎へ引き揚げた主人は再び拱手《きょうしゅ》して下《しも》のように考え始めた。
「自分が感服して、大《おおい》に見習おうとした八木独仙君も迷亭の話しによって見ると、別段見習うにも及ばない人間のようである。のみならず彼の唱道するところの説は何だか非常識で、迷亭の云う通り多少|瘋癲的《ふうてんてき》系統に属してもおりそうだ。いわんや彼は歴乎《れっき》とした二人の気狂《きちがい》の子分を有している。はなはだ危険である。滅多《めった》に近寄ると同系統内に引《ひ》き摺《ず》り込まれそうである。自分が文章の上において驚嘆の余《よ》、これこそ大見識を有している偉人に相違ないと思い込んだ天道公平事《てんどうこうへいこと》実名《じつみょう》立町老梅《たちまちろうばい》は純然たる狂人であって、現に巣鴨の病院に起居している。迷亭の記述が棒大のざれ言にもせよ、彼が瘋癲院《ふうてんいん》中に盛名を擅《ほしい》ままにして天道の主宰をもって自《みずか》ら任ずるは恐らく事実であろう。こう云う自分もことによると少々ござっているかも知れない。同気相求め、同類相集まると云うから、気狂の説に感服する以上は――少なくともその文章言辞に同情を表する以上は――自分もまた気狂に縁の近い者であるだろう。よし同型中に鋳化《ちゅうか》せられんでも軒を比《なら》べて狂人と隣り合せに居《きょ》を卜《ぼく》するとすれば、境の壁を一重打ち抜いていつの間《ま》にか同室内に膝を突き合せて談笑する事がないとも限らん。こいつは大変だ。なるほど考えて見るとこのほどじゅうから自分の脳の作用は我ながら驚くくらい奇上《きじょう》に妙《みょう》を点じ変傍《へんぼう》に珍《ちん》を添えている。脳漿一勺《のうしょういっせき》の化学的変化はとにかく意志の動いて行為となるところ、発して言辞と化する辺《あたり》には不思議にも中庸を失した点が多い。舌上《ぜつじょう》に竜泉《りゅうせん》なく、腋下《え
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