ニ云う。あれは目見ず[#「目見ず」に傍点]の名目よみで。蝦蟆《がま》の事をかいる[#「かいる」に傍点]と云うのと同じ事さ」
「へえ、驚ろいたな」
「蝦蟆を打ち殺すと仰向《あおむ》きにかえる[#「かえる」に傍点]。それを名目読みにかいる[#「かいる」に傍点]と云う。透垣《すきがき》をすい[#「すい」に傍点]垣《がき》、茎立《くきたち》をくく[#「くく」に傍点]立、皆同じ事だ。杉原《すいはら》をすぎ原などと云うのは田舎《いなか》ものの言葉さ。少し気を付けないと人に笑われる」
「じゃ、その、すい[#「すい」に傍点]原へこれから行くんですか。困ったな」
「なに厭《いや》なら御前は行かんでもいい。わし一人で行くから」
「一人で行けますかい」
「あるいてはむずかしい。車を雇って頂いて、ここから乗って行こう」
主人は畏《かしこ》まって直ちに御三《おさん》を車屋へ走らせる。老人は長々と挨拶をしてチョン髷頭《まげあたま》へ山高帽をいただいて帰って行く。迷亭はあとへ残る。
「あれが君の伯父さんか」
「あれが僕の伯父さんさ」
「なるほど」と再び座蒲団《ざぶとん》の上に坐ったなり懐手《ふところで》をして考え込んでいる。
「ハハハ豪傑だろう。僕もああ云う伯父さんを持って仕合せなものさ。どこへ連れて行ってもあの通りなんだぜ。君驚ろいたろう」と迷亭君は主人を驚ろかしたつもりで大《おおい》に喜んでいる。
「なにそんなに驚きゃしない」
「あれで驚かなけりゃ、胆力の据《すわ》ったもんだ」
「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。精神の修養を主張するところなぞは大《おおい》に敬服していい」
「敬服していいかね。君も今に六十くらいになるとやっぱりあの伯父見たように、時候おくれになるかも知れないぜ。しっかりしてくれたまえ。時候おくれの廻り持ちなんか気が利《き》かないよ」
「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらい[#「えらい」に傍点]んだぜ。第一今の学問と云うものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしない。とうてい満足は得られやしない。そこへ行くと東洋流の学問は消極的で大に味《あじわい》がある。心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承わった通りを自説のように述べ立てる。
「えらい事になって来たぜ。何だか八木独仙《やぎどくせん》君のような事を云ってるね」
八木独仙と云う名を聞いて主人ははっと驚ろいた。実はせんだって臥竜窟《がりょうくつ》を訪問して主人を説服に及んで悠然《ゆうぜん》と立ち帰った哲学者と云うのが取も直さずこの八木独仙君であって、今主人が鹿爪《しかつめ》らしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受売なのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名を間不容髪《かんふようはつ》の際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの仮鼻《かりばな》を挫《くじ》いた訳になる。
「君独仙の説を聞いた事があるのかい」と主人は剣呑《けんのん》だから念を推《お》して見る。
「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前学校にいた時分と今日《こんにち》と少しも変りゃしない」
「真理はそう変るものじゃないから、変らないところがたのもしいかも知れない」
「まあそんな贔負《ひいき》があるから独仙もあれで立ち行くんだね。第一八木と云う名からして、よく出来てるよ。あの髯《ひげ》が君全く山羊《やぎ》だからね。そうしてあれも寄宿舎時代からあの通りの恰好《かっこう》で生えていたんだ。名前の独仙なども振《ふる》ったものさ。昔《むか》し僕のところへ泊りがけに来て例の通り消極的の修養と云う議論をしてね。いつまで立っても同じ事を繰り返してやめないから、僕が君もう寝《ね》ようじゃないかと云うと、先生気楽なものさ、いや僕は眠くないとすまし切って、やっぱり消極論をやるには迷惑したね。仕方がないから君は眠くなかろうけれども、僕の方は大変眠いのだから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが――その晩|鼠《ねずみ》が出て独仙君の鼻のあたまを噛《かじ》ってね。夜なかに大騒ぎさ。先生悟ったような事を云うけれども命は依然として惜しかったと見えて、非常に心配するのさ。鼠の毒が総身《そうしん》にまわると大変だ、君どうかしてくれと責めるには閉口したね。それから仕方がないから台所へ行って紙片《かみぎれ》へ飯粒を貼《は》ってごまかしてやったあね」
「どうして」
「これは舶来の膏薬《こうやく》で、近来|独逸《ドイツ》の名医が発明したので、印度人《インドじん》などの毒蛇に噛《か》まれた時に用いると即効があるんだから、これさえ貼っておけば大丈夫だと云ってね」
「君はその時分からごまかす事に妙を得ていたんだね」
「……すると独仙君はああ云う好人物だから、全くだと思って安心してぐうぐう寝てしまったのさ。あくる日起きて見ると膏薬の下から糸屑《いとくず》がぶらさがって例の山羊髯《やぎひげ》に引っかかっていたのは滑稽《こっけい》だったよ」
「しかしあの時分より大分《だいぶ》えらく[#「えらく」に傍点]なったようだよ」
「君近頃逢ったのかい」
「一週間ばかり前に来て、長い間話しをして行った」
「どうりで独仙流の消極説を振り舞わすと思った」
「実はその時|大《おおい》に感心してしまったから、僕も大に奮発して修養をやろうと思ってるところなんだ」
「奮発は結構だがね。あんまり人の云う事を真《ま》に受けると馬鹿を見るぜ。一体君は人の言う事を何でもかでも正直に受けるからいけない。独仙も口だけは立派なものだがね、いざとなると御互と同じものだよ。君九年前の大地震を知ってるだろう。あの時寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは独仙君だけなんだからな」
「あれには当人|大分《だいぶ》説があるようじゃないか」
「そうさ、当人に云わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の機鋒《きほう》は峻峭《しゅんしょう》なもので、いわゆる石火《せっか》の機《き》となると怖《こわ》いくらい早く物に応ずる事が出来る。ほかのものが地震だと云って狼狽《うろた》えているところを自分だけは二階の窓から飛び下りたところに修業の効があらわれて嬉しいと云って、跛《びっこ》を引きながらうれしがっていた。負惜みの強い男だ。一体|禅《ぜん》とか仏《ぶつ》とか云って騒ぎ立てる連中ほどあやしいのはないぜ」
「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。
「この間来た時禅宗坊主の寝言《ねごと》見たような事を何か云ってったろう」
「うん電光影裏《でんこうえいり》に春風《しゅんぷう》をきるとか云う句を教えて行ったよ」
「その電光さ。あれが十年前からの御箱《おはこ》なんだからおかしいよ。無覚禅師《むかくぜんじ》の電光ときたら寄宿舎中誰も知らないものはないくらいだった。それに先生時々せき込むと間違えて電光影裏を逆《さか》さまに春風影裏に電光をきると云うから面白い。今度ためして見たまえ。向《むこう》で落ちつき払って述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛倒《てんとう》して妙な事を云うよ」
「君のようないたずらものに逢っちゃ叶《かな》わない」
「どっちがいたずら者だか分りゃしない。僕は禅坊主だの、悟ったのは大嫌だ。僕の近所に南蔵院《なんぞういん》と云う寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいる。それでこの間の白雨《ゆうだち》の時|寺内《じない》へ雷《らい》が落ちて隠居のいる庭先の松の木を割《さ》いてしまった。ところが和尚《おしょう》泰然として平気だと云うから、よく聞き合わせて見るとから聾《つんぼ》なんだね。それじゃ泰然たる訳さ。大概そんなものさ。独仙も一人で悟っていればいいのだが、ややともすると人を誘い出すから悪い。現に独仙の御蔭で二人ばかり気狂《きちがい》にされているからな」
「誰が」
「誰がって。一人は理野陶然《りのとうぜん》さ。独仙の御蔭で大《おおい》に禅学に凝《こ》り固まって鎌倉へ出掛けて行って、とうとう出先で気狂になってしまった。円覚寺《えんがくじ》の前に汽車の踏切りがあるだろう、あの踏切り内《うち》へ飛び込んでレールの上で座禅をするんだね。それで向うから来る汽車をとめて見せると云う大気焔《だいきえん》さ。もっとも汽車の方で留ってくれたから一命だけはとりとめたが、その代り今度は火に入《い》って焼けず、水に入って溺《おぼ》れぬ金剛不壊《こんごうふえ》のからだだと号して寺内《じない》の蓮池《はすいけ》へ這入《はい》ってぶくぶくあるき廻ったもんだ」
「死んだかい」
「その時も幸《さいわい》、道場の坊主が通りかかって助けてくれたが、その後《ご》東京へ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしまった。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂で麦飯や万年漬《まんねんづけ》を食ったせいだから、つまるところは間接に独仙が殺したようなものさ」
「むやみに熱中するのも善《よ》し悪《あ》ししだね」と主人はちょっと気味のわるいという顔付をする。
「本当にさ。独仙にやられたものがもう一人同窓中にある」
「あぶないね。誰だい」
「立町老梅君《たちまちろうばいくん》さ。あの男も全く独仙にそそのかされて鰻《うなぎ》が天上するような事ばかり言っていたが、とうとう君本物になってしまった」
「本物たあ何だい」
「とうとう鰻が天上して、豚が仙人になったのさ」
「何の事だい、それは」
「八木が独仙なら、立町は豚仙《ぶたせん》さ、あのくらい食い意地のきたない男はなかったが、あの食意地と禅坊主のわる意地が併発《へいはつ》したのだから助からない。始めは僕らも気がつかなかったが今から考えると妙な事ばかり並べていたよ。僕のうちなどへ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、僕の国では蒲鉾《かまぼこ》が板へ乗って泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたものさ。ただ吐いているうちはよかったが君表のどぶ[#「どぶ」に傍点]へ金《きん》とん[#「とん」に傍点]を掘りに行きましょうと促《うな》がすに至っては僕も降参したね。それから二三日《にさんち》するとついに豚仙になって巣鴨へ収容されてしまった。元来豚なんぞが気狂になる資格はないんだが、全く独仙の御蔭であすこまで漕ぎ付けたんだね。独仙の勢力もなかなかえらいよ」
「へえ、今でも巣鴨にいるのかい」
「いるだんじゃない。自大狂《じだいきょう》で大気焔《だいきえん》を吐いている。近頃は立町老梅なんて名はつまらないと云うので、自《みずか》ら天道公平《てんどうこうへい》と号して、天道の権化《ごんげ》をもって任じている。すさまじいものだよ。まあちょっと行って見たまえ」
「天道公平?」
「天道公平だよ。気狂の癖にうまい名をつけたものだね。時々は孔平《こうへい》とも書く事がある。それで何でも世人が迷ってるからぜひ救ってやりたいと云うので、むやみに友人や何かへ手紙を出すんだね。僕も四五通貰ったが、中にはなかなか長い奴があって不足税を二度ばかりとられたよ」
「それじゃ僕の所《とこ》へ来たのも老梅から来たんだ」
「君の所へも来たかい。そいつは妙だ。やっぱり赤い状袋だろう」
「うん、真中が赤くて左右が白い。一風変った状袋だ」
「あれはね、わざわざ支那から取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中間に在《あ》って赤しと云う豚仙の格言を示したんだって……」
「なかなか因縁《いんねん》のある状袋だね」
「気狂だけに大《おおい》に凝《こ》ったものさ。そうして気狂になっても食意地だけは依然として存しているものと見えて、毎回必ず食物の事がかいてあるから奇妙だ。君の所へも何とか云って来たろう」
「うん、海鼠《なまこ》の事がかいてある」
「老梅は海鼠が好きだったからね。もっともだ。それから?」
「それから河豚《ふぐ》と朝鮮仁参《ちょうせんにんじん》か何か書いてある」
「河豚と朝鮮仁参の取り合せは旨《うま》いね。おおかた河豚を食って中《あた》ったら朝鮮仁参を煎《せん》じて飲めとでも云うつもり
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