「》り込んだ。すると六尺の床を正面に一個の老人が粛然《しゅくぜん》と端坐《たんざ》して控《ひか》えている。主人は思わず懐から両手を出してぺたりと唐紙《からかみ》の傍《そば》へ尻を片づけてしまった。これでは老人と同じく西向きであるから双方共挨拶のしようがない。昔堅気《むかしかたぎ》の人は礼羲はやかましいものだ。
「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人を促《うな》がす。主人は両三年前までは座敷はどこへ坐っても構わんものと心得ていたのだが、その後《ご》ある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段の間《ま》の変化したもので、上使《じょうし》が坐わる所だと悟って以来決して床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者が頑《がん》と構えているのだから上座《じょうざ》どころではない。挨拶さえ碌《ろく》には出来ない。一応頭をさげて
「さあどうぞあれへ」と向うの云う通りを繰り返した。
「いやそれでは御挨拶が出来かねますから、どうぞあれへ」
「いえ、それでは……どうぞあれへ」と主人はいい加減に先方の口上を真似ている。
「どうもそう、御謙遜《ごけんそん》では恐れ入る。かえって手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」
「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は真赤《まっか》になって口をもごもご云わせている。精神修養もあまり効果がないようである。迷亭君は襖《ふすま》の影から笑いながら立見をしていたが、もういい時分だと思って、後《うし》ろから主人の尻を押しやりながら
「まあ出たまえ。そう唐紙《からかみ》へくっついては僕が坐る所がない。遠慮せずに前へ出たまえ」と無理に割り込んでくる。主人はやむを得ず前の方へすり出る。
「苦沙弥君これが毎々君に噂をする静岡の伯父だよ。伯父さんこれが苦沙弥君です」
「いや始めて御目にかかります、毎度迷亭が出て御邪魔を致すそうで、いつか参上の上御高話を拝聴致そうと存じておりましたところ、幸い今日《こんにち》は御近所を通行致したもので、御礼|旁《かたがた》伺った訳で、どうぞ御見知りおかれまして今後共|宜《よろ》しく」と昔《むか》し風な口上を淀《よど》みなく述べたてる。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風な爺《じい》さんとはほとんど出会った事がないのだから、最初から多少|場《ば》うての気味で辟易《へきえき》していたところへ、滔々《とうとう》と浴びせかけられたのだから、朝鮮仁参《ちょうせんにんじん》も飴《あめ》ん棒の状袋もすっかり忘れてしまってただ苦しまぎれに妙な返事をする。
「私も……私も……ちょっと伺がうはずでありましたところ……何分よろしく」と云い終って頭を少々畳から上げて見ると老人は未《いま》だに平伏しているので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けた。
 老人は呼吸を計って首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷も在《あ》って、永らく御膝元でくらしたものでがすが、瓦解《がかい》の折にあちらへ参ってからとんと出てこんのでな。今来て見るとまるで方角も分らんくらいで、――迷亭にでも伴《つ》れてあるいてもらわんと、とても用達《ようたし》も出来ません。滄桑《そうそう》の変《へん》とは申しながら、御入国《ごにゅうこく》以来三百年も、あの通り将軍家の……」と云いかけると迷亭先生面倒だと心得て
「伯父さん将軍家もありがたいかも知れませんが、明治の代《よ》も結構ですぜ。昔は赤十字なんてものもなかったでしょう」
「それはない。赤十字などと称するものは全くない。ことに宮様の御顔を拝むなどと云う事は明治の御代《みよ》でなくては出来ぬ事だ。わしも長生きをした御蔭でこの通り今日《こんにち》の総会にも出席するし、宮殿下の御声もきくし、もうこれで死んでもいい」
「まあ久し振りで東京見物をするだけでも得ですよ。苦沙弥君、伯父はね。今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、今日いっしょに上野へ出掛けたんだが今その帰りがけなんだよ。それだからこの通り先日僕が白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。なるほどフロックコートを着ている。フロックコートは着ているがすこしもからだに合わない。袖《そで》が長過ぎて、襟《えり》がおっ開《ぴら》いて、背中《せなか》へ池が出来て、腋《わき》の下が釣るし上がっている。いくら不恰好《ぶかっこう》に作ろうと云ったって、こうまで念を入れて形を崩《くず》す訳にはゆかないだろう。その上白シャツと白襟《しろえり》が離れ離れになって、仰《あお》むくと間から咽喉仏《のどぼとけ》が見える。第一黒い襟飾りが襟に属しているのか、シャツに属しているのか判然《はんぜん》しない。フロックはまだ我慢が出来るが白髪《しらが》のチョン髷《まげ》ははなはだ奇観である。評判の鉄扇《てっせん》はどうかと目を注《つ》けると膝の横にちゃんと引きつけている。主人はこの時ようやく本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いた。まさか迷亭の話ほどではなかろうと思っていたが、逢って見ると話以上である。もし自分のあばた[#「あばた」に傍点]が歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョン髷《まげ》や鉄扇はたしかにそれ以上の価値がある。主人はどうかしてこの鉄扇の由来を聞いて見たいと思ったが、まさか、打ちつけに質問する訳には行かず、と云って話を途切らすのも礼に欠けると思って
「だいぶ人が出ましたろう」と極《きわ》めて尋常な問をかけた。
「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので――どうも近来は人間が物見高くなったようでがすな。昔《むか》しはあんなではなかったが」
「ええ、さよう、昔はそんなではなかったですな」と老人らしい事を云う。これはあながち主人が知《し》っ高振《たかぶ》りをした訳ではない。ただ朦朧《もうろう》たる頭脳から好い加減に流れ出す言語と見れば差《さ》し支《つか》えない。
「それにな。皆この甲割《かぶとわ》りへ目を着けるので」
「その鉄扇は大分《だいぶ》重いものでございましょう」
「苦沙弥君、ちょっと持って見たまえ。なかなか重いよ。伯父さん持たして御覧なさい」
 老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷《くろだに》で参詣人《さんけいにん》が蓮生坊《れんしょうぼう》の太刀《たち》を戴《いただ》くようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と云ったまま老人に返却した。
「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割《かぶとわり》と称《とな》えて鉄扇とはまるで別物で……」
「へえ、何にしたものでございましょう」
「兜を割るので、――敵の目がくらむ所を撃《う》ちとったものでがす。楠正成《くすのきまさしげ》時代から用いたようで……」
「伯父さん、そりゃ正成の甲割ですかね」
「いえ、これは誰のかわからん。しかし時代は古い。建武時代《けんむじだい》の作かも知れない」
「建武時代かも知れないが、寒月君は弱っていましたぜ。苦沙弥君、今日帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せて貰ったところがね。この甲割が鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」
「いや、そんなはずはない。これは建武時代の鉄で、性《しょう》のいい鉄だから決してそんな虞《おそ》れはない」
「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう云ったから仕方がないです」
「寒月というのは、あのガラス球《だま》を磨《す》っている男かい。今の若さに気の毒な事だ。もう少し何かやる事がありそうなものだ」
「可愛想《かわいそう》に、あれだって研究でさあ。あの球を磨り上げると立派な学者になれるんですからね」
「玉を磨《す》りあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。わしにでも出来る。ビードロやの主人にでも出来る。ああ云う事をする者を漢土《かんど》では玉人《きゅうじん》と称したもので至って身分の軽いものだ」と云いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。
「なるほど」と主人はかしこまっている。
「すべて今の世の学問は皆|形而下《けいじか》の学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違って侍《さむらい》は皆|命懸《いのちが》けの商買《しょうばい》だから、いざと云う時に狼狽《ろうばい》せぬように心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金を綯《よ》ったりするような容易《たやす》いものではなかったのでがすよ」
「なるほど」とやはりかしこまっている。
「伯父さん心の修業と云うものは玉を磨る代りに懐手《ふところで》をして坐り込んでるんでしょう」
「それだから困る。決してそんな造作《ぞうさ》のないものではない。孟子《もうし》は求放心《きゅうほうしん》と云われたくらいだ。邵康節《しょうこうせつ》は心要放《しんようほう》と説いた事もある。また仏家《ぶっか》では中峯和尚《ちゅうほうおしょう》と云うのが具不退転《ぐふたいてん》と云う事を教えている。なかなか容易には分らん」
「とうてい分りっこありませんね。全体どうすればいいんです」
「御前は沢菴禅師《たくあんぜんじ》の不動智神妙録《ふどうちしんみょうろく》というものを読んだ事があるかい」
「いいえ、聞いた事もありません」
「心をどこに置こうぞ。敵の身の働《はたらき》に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀《たち》に心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんと思うところに心を置けば、敵を切らんと思うところに心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるるなり。われ切られじと思うところに心を置けば、切られじと思うところに心を取らるるなり。人の構《かまえ》に心を置けば、人の構に心を取らるるなり。とかく心の置きどころはないとある」
「よく忘れずに暗誦《あんしょう》したものですね。伯父さんもなかなか記憶がいい。長いじゃありませんか。苦沙弥君分ったかい」
「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった。
「なあ、あなた、そうでござりましょう。心をどこに置こうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば……」
「伯父さん苦沙弥君はそんな事は、よく心得ているんですよ。近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。客があっても取次に出ないくらい心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ」
「や、それは御奇特《ごきどく》な事で――御前などもちとごいっしょにやったらよかろう」
「へへへそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」
「実際遊んでるじゃないかの」
「ところが閑中《かんちゅう》自《おのず》から忙《ぼう》ありでね」
「そう、粗忽《そこつ》だから修業をせんといかないと云うのよ、忙中|自《おのずか》ら閑《かん》ありと云う成句《せいく》はあるが、閑中自ら忙ありと云うのは聞いた事がない。なあ苦沙弥さん」
「ええ、どうも聞きませんようで」
「ハハハハそうなっちゃあ敵《かな》わない。時に伯父さんどうです。久し振りで東京の鰻《うなぎ》でも食っちゃあ。竹葉《ちくよう》でも奢《おご》りましょう。これから電車で行くとすぐです」
「鰻も結構だが、今日はこれからすい[#「すい」に傍点]原《はら》へ行く約束があるから、わしはこれで御免を蒙《こうむ》ろう」
「ああ杉原《すぎはら》ですか、あの爺《じい》さんも達者ですね」
「杉原《すぎはら》ではない、すい[#「すい」に傍点]原《はら》さ。御前はよく間違ばかり云って困る。他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」
「だって杉原《すぎはら》とかいてあるじゃありませんか」
「杉原《すぎはら》と書いてすい[#「すい」に傍点]原《はら》と読むのさ」
「妙ですね」
「なに妙な事があるものか。名目読《みょうもくよ》みと云って昔からある事さ。蚯蚓《きゅういん》を和名《わみょう》でみみず[#「みみず」に傍点]
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