ニの令嬢から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はっと仰天《ぎょうてん》して屋敷のまわりを三度|馳《か》け回ったくらいである。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめている以上は自分で自分の顔が怖《こわ》くなるに相違ない。ただ見てさえあまり気味のいい顔じゃない。ややあって主人は「なるほどきたない顔だ」と独《ひと》り言《ごと》を云った。自己の醜を自白するのはなかなか見上げたものだ。様子から云うとたしかに気違の所作《しょさ》だが言うことは真理である。これがもう一歩進むと、己《おの》れの醜悪な事が怖《こわ》くなる。人間は吾身が怖ろしい悪党であると云う事実を徹骨徹髄に感じた者でないと苦労人とは云えない。苦労人でないととうてい解脱《げだつ》は出来ない。主人もここまで来たらついでに「おお怖《こわ》い」とでも云いそうなものであるがなかなか云わない。「なるほどきたない顔だ」と云ったあとで、何を考え出したか、ぷうっと頬《ほ》っぺたを膨《ふく》らました。そうしてふくれた頬っぺたを平手《ひらて》で二三度|叩《たた》いて見る。何のまじないだか分らない。この時吾輩は何だかこの顔に似たものがあるらしいと云う感じがした。よくよく考えて見るとそれは御三《おさん》の顔である。ついでだから御三の顔をちょっと紹介するが、それはそれはふくれたものである。この間さる人が穴守稲荷《あなもりいなり》から河豚《ふぐ》の提灯《ちょうちん》をみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚提灯《ふぐちょうちん》のようにふくれている。あまりふくれ方が残酷なので眼は両方共紛失している。もっとも河豚のふくれるのは万遍なく真丸《まんまる》にふくれるのだが、お三とくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格通りにふくれ上がるのだから、まるで水気《すいき》になやんでいる六角時計のようなものだ。御三が聞いたらさぞ怒《おこ》るだろうから、御三はこのくらいにしてまた主人の方に帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもって頬《ほ》っぺたをふくらませたる彼は前《ぜん》申す通り手のひらで頬《ほっ》ぺたを叩きながら「このくら「皮膚が緊張するとあばた[#「あばた」に傍点]も眼につかん」とまた独《ひと》り語《ごと》をいった。
こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「こうして見ると大変目立つ。やっぱりまともに日の向いてる方が平《たいら》に見える。奇体な物だなあ」と大分《だいぶ》感心した様子であった。それから右の手をうんと伸《のば》して、出来るだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「このくらい離れるとそんなでもない。やはり近過ぎるといかん。――顔ばかりじゃない何でもそんなものだ」と悟ったようなことを云う。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして眼や額や眉《まゆ》を一度にこの中心に向ってくしゃくしゃとあつめた。見るからに不愉快な容貌《ようぼう》が出来上ったと思ったら「いやこれは駄目だ」と当人も気がついたと見えて早々《そうそう》やめてしまった。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審の体《てい》で鏡を眼を去る三寸ばかりの所へ引き寄せる。右の人指しゆびで小鼻を撫《な》でて、撫でた指の頭を机の上にあった吸取《すいと》り紙《がみ》の上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻の膏《あぶら》が丸《ま》るく紙の上へ浮き出した。いろいろな芸をやるものだ。それから主人は鼻の膏を塗抹《とまつ》した指頭《しとう》を転じてぐいと右眼《うがん》の下瞼《したまぶた》を裏返して、俗に云うべっかんこう[#「べっかんこう」に傍点]を見事にやって退《の》けた。あばた[#「あばた」に傍点]を研究しているのか、鏡と睨《にら》め競《くら》をしているのかその辺は少々不明である。気の多い主人の事だから見ているうちにいろいろになると見える。それどころではない。もし善意をもって蒟蒻《こんにゃく》問答的《もんどうてき》に解釈してやれば主人は見性自覚《けんしょうじかく》の方便《ほうべん》としてかように鏡を相手にいろいろな仕草《しぐさ》を演じているのかも知れない。すべて人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川《さんせん》と云い日月《じつげつ》と云い星辰《せいしん》と云うも皆自己の異名《いみょう》に過ぎぬ。自己を措《お》いて他に研究すべき事項は誰人《たれびと》にも見出《みいだ》し得ぬ訳だ。もし人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談である。それだから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になった。人のお蔭で自ネが分るくらいなら、自分の代理に牛肉を喰わして、堅いか柔かいか判断の出来る訳だ。朝《あした》に法を聴き、夕《ゆうべ》に道を聴き、梧前灯下《ごぜんとうか》に書巻を手にするのは皆この自証《じしょう》を挑撥《ちょうはつ》するの方便《ほうべん》の具《ぐ》に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、乃至《ないし》は五車《ごしゃ》にあまる蠧紙堆裏《としたいり》に自己が存在する所以《ゆえん》がない。あれば自己の幽霊である。もっともある場合において幽霊は無霊《むれい》より優るかも知れない。影を追えば本体に逢着《ほうちゃく》する時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本体を離れぬものだ。この意味で主人が鏡をひねくっているなら大分《だいぶ》話せる男だ。エピクテタスなどを鵜呑《うのみ》にして学者ぶるよりも遥《はる》かにましだと思う。
鏡は己惚《うぬぼれ》の醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を煽動《せんどう》する道具はない。昔から増上慢《ぞうじょうまん》をもって己《おのれ》を害し他を※[#「爿+戈」、第4水準2−12−83]《そこの》うた事蹟《じせき》の三分の二はたしかに鏡の所作《しょさ》である。仏国革命の当時物好きな御医者さんが改良首きり器械を発明して飛んだ罪をつくったように、始めて鏡をこしらえた人も定めし寝覚《ねざめ》のわるい事だろう。しかし自分に愛想《あいそ》の尽きかけた時、自我の萎縮した折は鏡を見るほど薬になる事はない。妍醜瞭然《けんしゅうりょうぜん》だ。こんな顔でよくまあ人で候《そうろう》と反《そ》りかえって今日《こんにち》まで暮らされたものだと気がつくにきまっている。そこへ気がついた時が人間の生涯《しょうがい》中もっともありがたい期節である。自分で自分の馬鹿を承知しているほど尊《たっ》とく見える事はない。この自覚性《じかくせい》馬鹿《ばか》の前にはあらゆるえらがり[#「えらがり」に傍点]屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人は昂然《こうぜん》として吾を軽侮《けいぶ》嘲笑《ちょうしょう》しているつもりでも、こちらから見るとその昂然たるところが恐れ入って頭を下げている事になる。主人は鏡を見て己《おの》れの愚を悟るほどの賢者ではあるまい。しかし吾が顔に印せられる痘痕《とうこん》の銘《めい》くらいは公平に読み得る男である。顔の醜いのを自認するのは心の賤《いや》しきを会得《えとく》する楷梯《かいてい》にもなろう。たのもしい男だ。これも哲学者からやり込められた結果かも知れぬ。
かように考えながらなお様子をうかがっていると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえ[#「あかんべえ」に傍点]をしたあとで「大分《だいぶ》充血しているようだ。やっぱり慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血した瞼《まぶた》をこすり始めた。大方《おおかた》痒《かゆ》いのだろうけれども、たださえあんなに赤くなっているものを、こう擦《こす》ってはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛《しおだい》の眼玉のごとく腐爛《ふらん》するにきまってる。やがて眼を開《ひら》いて鏡に向ったところを見ると、果せるかなどんよりとして北国の冬空のように曇っていた。もっとも平常《ふだん》からあまり晴れ晴れしい眼ではない。誇大な形容詞を用いると混沌《こんとん》として黒眼と白眼が剖判《ほうはん》しないくらい漠然《ばくぜん》としている。彼の精神が朦朧《もうろう》として不得要領|底《てい》に一貫しているごとく、彼の眼も曖々然《あいあいぜん》昧々然《まいまいぜん》として長《とこし》えに眼窩《がんか》の奥に漂《ただよ》うている。これは胎毒《たいどく》のためだとも云うし、あるいは疱瘡《ほうそう》の余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙の厄介になった事もあるそうだが、せっかく母親の丹精も、あるにその甲斐《かい》あらばこそ、今日《こんにち》まで生れた当時のままでぼんやりしている。吾輩ひそかに思うにこの状態は決して胎毒や疱瘡のためではない。彼の眼玉がかように晦渋溷濁《かいじゅうこんだく》の悲境に彷徨《ほうこう》しているのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明《ふとうふめい》の実質から構成されていて、その作用が暗憺溟濛《あんたんめいもう》の極に達しているから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配を掛けたんだろう。煙たって火あるを知り、まなこ濁って愚《ぐ》なるを証す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭《てんぽうせん》のごとく穴があいているから、彼の眼もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用しないに違ない。
今度は髯《ひげ》をねじり始めた。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとって生《は》えている。いくら個人主義が流行《はや》る世の中だって、こう町々《まちまち》に我儘《わがまま》を尽くされては持主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここに鑑《かんが》みるところあって近頃は大《おおい》に訓練を与えて、出来る限り系統的に按排《あんばい》するように尽力している。その熱心の功果《こうか》は空《むな》しからずして昨今ようやく歩調が少しととのうようになって来た。今までは髯が生《は》えておったのであるが、この頃は髯を生やしているのだと自慢するくらいになった。熱心は成効の度に応じて鼓舞《こぶ》せられるものであるから、吾が髯の前途有望なりと見てとって主人は朝な夕な、手がすいておれば必ず髯《ひげ》に向って鞭撻《べんたつ》を加える。彼のアムビションは独逸《ドイツ》皇帝陛下のように、向上の念の熾《さかん》な髯を蓄《たくわ》えるにある。それだから毛孔《けあな》が横向であろうとも、下向であろうとも聊《いささ》か頓着なく十把一《じっぱひ》とからげに握《にぎ》っては、上の方へ引っ張り上げる。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もある。がそこが訓練である。否《いや》でも応でもさかに扱《こ》き上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当の事と心得ている。教育者がいたずらに生徒の本性《ほんせい》を撓《た》めて、僕の手柄を見給えと誇るようなもので毫《ごう》も非難すべき理由はない。
主人が満腔《まんこう》の熱誠をもって髯を調練していると、台所から多角性の御三《おさん》が郵便が参りましたと、例のごとく赤い手をぬっと書斎の中《うち》へ出した。右手《みぎ》に髯をつかみ、左手《ひだり》に鏡を持った主人は、そのまま入口の方を振りかえる。八の字の尾に逆《さ》か立《だ》ちを命じたような髯を見るや否や御多角《おたかく》はいきなり台所へ引き戻して、ハハハハと御釜《おかま》の蓋《ふた》へ身をもたして笑った。主人は平気なものである。悠々《ゆうゆう》と鏡をおろして郵便を取り上げた。第一信は活版ずりで何だかいかめしい文字が並べてある。読んで見ると
[#ここから2字下げ]
拝啓|愈《いよいよ》御多祥|奉賀候《がしたてまつりそろ》回顧すれば日露の戦役は連戦連勝の勢《いきおい》に乗じて平和克復を告げ吾忠勇義烈なる将士は今や過半万歳声|裡《り》に凱歌を奏し国民の歓喜何ものか之《これ》に若《し》かん曩《さき》に宣戦の大詔煥発《たいしょうかんぱつ》せらる
前へ
次へ
全75ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング