吾輩は主人の顔を見る度に考える。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面《おくめん》なく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅も利《き》いたか知らんが、あらゆるあばた[#「あばた」に傍点]が二の腕へ立ち退《の》きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取って頑《がん》として動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばた[#「あばた」に傍点]の体面に関する訳だ。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた[#「あばた」に傍点]自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天《ちゅうてん》に挽回《ばんかい》せずんばやまずと云う意気込みで、あんなに横風《おうふう》に顔一面を占領しているのか知らん。そうするとこのあばた[#「あばた」に傍点]は決して軽蔑《けいべつ》の意をもって視《み》るべきものでない。滔々《とうとう》たる流俗に抗する万古不磨《ばんこふま》の穴の集合体であって、大《おおい》に吾人の尊敬に値する凸凹《でこぼこ》と云って宜《よろ》しい。ただきたならしいのが欠点である。
 主人の小供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯《あさだそうはく》と云う漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかご[#「かご」に傍点]に乗ってそろりそろりと参られたそうだ。ところが宗伯老が亡くなられてその養子の代になったら、かご[#「かご」に傍点]がたちまち人力車に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡を続《つ》いだら葛根湯《かっこんとう》がアンチピリンに化けるかも知れない。かご[#「かご」に傍点]に乗って東京市中を練りあるくのは宗伯老の当時ですらあまり見っともいいものでは無かった。こんな真似をして澄《すま》していたものは旧弊な亡者《もうじゃ》と、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。
 主人のあばた[#「あばた」に傍点]もその振わざる事においては宗伯老のかご[#「かご」に傍点]と一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢法医にも劣らざる頑固《がんこ》な主人は依然として孤城落日のあばた[#「あばた」に傍点]を天下に曝露《ばくろ》しつつ毎日登校してリードルを教えている。
 かくのごとき前世紀の紀念を満面に刻《こく》して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外に大《だい》なる訓戒を垂れつつあるに相違ない。彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばた[#「あばた」に傍点]の顔面に及ぼす影響」と云う大問題を造作《ぞうさ》もなく解釈して、不言《ふげん》の間《かん》にその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁《あかつき》には彼等生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによって埃及人《エジプトじん》を髣髴《ほうふつ》すると同程度の労力を費《つい》やさねばならぬ。この点《てん》から見ると主人の痘痕《あばた》も冥々《めいめい》の裡《うち》に妙な功徳《くどく》を施こしている。
 もっとも主人はこの功徳を施こすために顔一面に疱瘡《ほうそう》を種《う》え付けたのではない。これでも実は種え疱瘡をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつの間《ま》にか顔へ伝染していたのである。その頃は小供の事で今のように色気《いろけ》もなにもなかったものだから、痒《かゆ》い痒いと云いながら無暗《むやみ》に顔中引き掻《か》いたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人は折々細君に向って疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと云っている。浅草の観音様《かんのんさま》で西洋人が振り反《かえ》って見たくらい奇麗だったなどと自慢する事さえある。なるほどそうかも知れない。ただ誰も保証人のいないのが残念である。
 いくら功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものだから、物心《ものごころ》がついて以来と云うもの主人は大《おおい》にあばた[#「あばた」に傍点]について心配し出して、あらゆる手段を尽してこの醜態を揉《も》み潰《つぶ》そうとした。ところが宗伯老のかご[#「かご」に傍点]と違って、いやになったからと云うてそう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかると見えて、主人は往来をあるく度毎にあばた[#「あばた」に傍点]面《づら》を勘定してあるくそうだ。今日何人あばた[#「あばた」に傍点]に出逢って、その主《ぬし》は男か女か、その場所は小川町の勧工場《かんこうば》であるか、上野の公園であるか、ことごとく彼の日記につけ込んである。彼はあばた[#「あばた」に傍点]に関する智識においては決して誰にも譲るまいと確信している。せんだってある洋行帰りの友人が来た折なぞは、「君西洋人にはあばた[#「あばた」に傍点]があるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあ滅多《めった》にないね」と云ったら、主人は「滅多になくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返えした。友人は気のない顔で「あっても乞食か立《たち》ん坊《ぼう》だよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と云った。
 哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留った主人はその後書斎に立て籠《こも》ってしきりに何か考えている。彼の忠告を容《い》れて静坐の裡《うち》に霊活なる精神を消極的に修養するつもりかも知れないが、元来が気の小さな人間の癖に、ああ陰気な懐手《ふところで》ばかりしていては碌《ろく》な結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節《らっぱぶし》でも習った方が遥《はる》かにましだとまでは気が付いたが、あんな偏屈《へんくつ》な男はとうてい猫の忠告などを聴く気遣《きづかい》はないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせずに暮した。
 今日はあれからちょうど七日目《なぬかめ》である。禅家などでは一七日《いちしちにち》を限って大悟して見せるなどと凄《すさま》じい勢《いきおい》で結跏《けっか》する連中もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるか何とか片付いたろうと、のそのそ椽側《えんがわ》から書斎の入口まで来て室内の動静を偵察《ていさつ》に及んだ。
 書斎は南向きの六畳で、日当りのいい所に大きな机が据《す》えてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうと云う大きな机である。無論出来合のものではない。近所の建具屋に談判して寝台|兼《けん》机として製造せしめたる稀代《きたい》の品物である。何の故にこんな大きな机を新調して、また何の故にその上に寝て見ようなどという了見《りょうけん》を起したものか、本人に聞いて見ない事だから頓《とん》とわからない。ほんの一時の出来心で、かかる難物を担《かつ》ぎ込んだのかも知れず、あるいはことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出《みいだ》すごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子《ひょうし》に椽側へ転げ落ちたのを見た事がある。それ以来この机は決して寝台に転用されないようである。
 机の前には薄っぺらなメリンスの座布団《ざぶとん》があって、煙草《たばこ》の火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒い。この座布団の上に後《うし》ろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯《へこおび》をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっている。この帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張られたのはこないだの事である。滅多《めった》に寄り付くべき帯ではない。
 まだ考えているのか下手《へた》の考と云う喩《たとえ》もあるのにと後《うし》ろから覗《のぞ》き込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず、続け様に二三度|瞬《まばたき》をしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。するとこの光りは机の上で動いている鏡から出るものだと云う事が分った。しかし主人は何のために書斎で鏡などを振り舞わしているのであろう。鏡と云えば風呂場にあるに極《き》まっている。現に吾輩は今朝風呂場でこの鏡を見たのだ。この鏡[#「この鏡」に傍点]ととくに云うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いる。――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼は他《ほか》の事に無精《ぶしょう》なるだけそれだけ頭を叮嚀《ていねい》にする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだ事はない。必《かなら》ず二寸くらいの長さにして、それを御大《ごたい》そうに左の方で分けるのみか、右の端《はじ》をちょっと跳《は》ね返して澄《すま》している。これも精神病の徴候かも知れない。こんな気取った分け方はこの机と一向《いっこう》調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、誰も何とも云わない。本人も得意である。分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこう云う訳《わけ》である。彼のあばた[#「あばた」に傍点]は単に彼の顔を侵蝕《しんしょく》せるのみならず、とくの昔《むか》しに脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばた[#「あばた」に傍点]があらわれてくる。いくら撫《な》でても、さすってもぽつぽつがとれない。枯野に蛍《ほたる》を放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意《ぎょい》に入らんのは勿論《もちろん》の事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝《あば》くにも当らぬ訳だ。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばた[#「あばた」に傍点]も内済《ないさい》にしたいくらいなところだから、ただで生《は》える毛を銭《ぜに》を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨《ずがいこつ》の上まで天然痘《てんねんとう》ノやられましたよと吹聴《ふいちょう》する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以《ゆえん》で、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である。
 風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病《りこんびょう》に罹《かか》ったのかまたは主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすれば何のために持って来たのだろう。あるいは例の消極的修養に必要な道具かも知れない。昔《むか》し或る学者が何とかいう智識を訪《と》うたら、和尚《おしょう》両肌を抜いで甎《かわら》を磨《ま》しておられた。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるところじゃと答えた。そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろと罵《ののし》ったと云うから、主人もそんな事を聞き噛《かじ》って風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない。大分《だいぶ》物騒になって来たなと、そっと窺《うかが》っている。
 かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる容子《ようす》をもって一張来《いっちょうらい》の鏡を見つめている。元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜|蝋燭《ろうそく》を立てて、広い部屋のなかで一人鏡を覗《のぞ》き込むにはよほどの勇気がいるそうだ。吾輩などは始めて当
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