£ハ一般の化物とは違って背中《せなか》に模様画をほり付けている。岩見重太郎《いわみじゅうたろう》が大刀《だいとう》を振り翳《かざ》して蟒《うわばみ》を退治《たいじ》るところのようだが、惜しい事に未《ま》だ竣功《しゅんこう》の期に達せんので、蟒はどこにも見えない。従って重太郎先生いささか拍子抜けの気味に見える。飛び込みながら「箆棒《べらぼう》に温《ぬ》るいや」と云った。するとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する気色《けしき》とも見えたが、重太郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶《あいさつ》をする。重太郎は「やあ」と云ったが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く。「どうしたか、じゃんじゃんが好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どう云うもんか人に好かれねえ、――どう云うものだか、――どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あんなもんじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ腰が低いんじゃねえ、頭《ず》が高《た》けえんだ。それだからどうも信用されねえんだね」「本当によ。あれで一《い》っぱし腕があるつもりだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町《しろかねちょう》にも古い人が亡《な》くなってね、今じゃ桶屋《おけや》の元さんと煉瓦屋《れんがや》の大将と親方ぐれえな者だあな。こちとらあこうしてここで生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから来たんだか分りゃしねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うん。どう云うもんか人に好かれねえ。人が交際《つきあ》わねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。
 天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入《おおいり》で、湯の中に人が這入《はい》ってると云わんより人の中に湯が這入ってると云う方が適当である。しかも彼等はすこぶる悠々閑々《ゆうゆうかんかん》たる物で、先刻《さっき》から這入るものはあるが出る物は一人もない。こう這入った上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよく槽《おけ》の中を見渡すと、左の隅に圧《お》しつけられて苦沙弥先生が真赤《まっか》になってすくんでいる。可哀《かわい》そうに誰か路をあけて出してやればいいのにと思うのに誰も動きそうにもしなければ、主人も出ようとする気色《けしき》も見せない。ただじっとして赤くなっているばかりである。これはご苦労な事だ。なるべく二銭五厘の湯銭を活用しようと云う精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯気《ゆけ》にあがるがと主思《しゅうおも》いの吾輩は窓の棚《たな》から少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちと利《き》き過ぎるようだ、どうも背中《せなか》の方から熱い奴がじりじり湧《わ》いてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた。「なあにこれがちょうどいい加減です。薬湯はこのくらいでないと利《き》きません。わたしの国なぞではこの倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。「一体この湯は何に利くんでしょう」と手拭を畳《たた》んで凸凹頭《でこぼこあたま》をかくした男が一同に聞いて見る。「いろいろなものに利きますよ。何でもいいてえんだからね。豪気《ごうぎ》だあね」と云ったのは瘠《や》せた黄瓜《きゅうり》のような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ。「薬を入れ立てより、三日目か四日目がちょうどいいようです。今日等《きょうなど》は這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、膨《ふく》れ返った男である。これは多分|垢肥《あかぶと》りだろう。「飲んでも利きましょうか」とどこからか知らないが黄色い声を出す者がある。「冷《ひ》えた後《あと》などは一杯飲んで寝ると、奇体《きたい》に小便に起きないから、まあやって御覧なさい」と答えたのは、どの顔から出た声か分らない。
 湯槽《ゆぶね》の方はこれぐらいにして板間《いたま》を見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んで各《おのおの》勝手次第な姿勢で、勝手次第なところを洗っている。その中にもっとも驚ろくべきのは仰向《あおむ》けに寝て、高い明《あ》かり取《とり》を眺《なが》めているのと、腹這《はらば》いになって、溝《みぞ》の中を覗《のぞ》き込んでいる両アダムである。これはよほど閑《ひま》なアダムと見える。坊主が石壁を向いてしゃがんでいると後《うし》ろから、小坊主がしきりに肩を叩《たた》いている。これは師弟の関係上|三介《さんすけ》の代理を務《つと》めるのであろう。本当の三介もいる。風邪《かぜ》を引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小判形《こばんなり》の桶《おけ》からざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指の股に呉絽《ごろ》の垢擦《あかす》りを挟《はさ》んでいる。こちらの方では小桶《こおけ》を慾張って三つ抱え込んだ男が、隣りの人に石鹸《シャボン》を使え使えと云いながらしきりに長談議をしている。何だろうと聞いて見るとこんな事を言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は斬り合いばかりさ。外国は卑怯だからね、それであんなものが出来たんだ。どうも支那じゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内《わとうない》の時にゃ無かったね。和唐内はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷《えぞ》から満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変|学《がく》のできる人がくっ付いて行ったてえ話しだね。それでその義経のむすこが大明《たいみん》を攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使をよこして三千人の兵隊を借《か》してくれろと云うと、三代様《さんだいさま》がそいつを留めておいて帰さねえ。――何とか云ったっけ。――何でも何とか云う使だ。――それでその使を二年とめておいてしまいに長崎で女郎《じょろう》を見せたんだがね。その女郎に出来た子が和唐内さ。それから国へ帰って見ると大明は国賊に亡ぼされていた。……」何を云うのかさっぱり分らない。その後《うし》ろに二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている。腫物《はれもの》か何かで苦しんでいると見える。その横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌《しゃべ》ってるのはこの近所の書生だろう。そのまた次に妙な背中《せなか》が見える。尻の中から寒竹《かんちく》を氓オ込んだように背骨《せぼね》の節が歴々《ありあり》と出ている。そうしてその左右に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤く爛《ただ》れて周囲《まわり》に膿《うみ》をもっているのもある。こう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際《てぎわ》にはその一斑《いっぱん》さえ形容する事が出来ん。これは厄介な事をやり始めた者だと少々|辟易《へきえき》していると入口の方に浅黄木綿《あさぎもめん》の着物をきた七十ばかりの坊主がぬっと見《あら》われた。坊主は恭《うやうや》しくこれらの裸体の化物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じます。今日は少々御寒うございますから、どうぞ御緩《ごゆっ》くり――どうぞ白い湯へ出たり這入《はい》ったりして、ゆるりと御あったまり下さい。――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた。和唐内は「愛嬌《あいきょう》ものだね。あれでなくては商買《しょうばい》は出来ないよ」と大《おおい》に爺さんを激賞した。吾輩は突然この異《い》な爺さんに逢ってちょっと驚ろいたからこっちの記述はそのままにして、しばらく爺さんを専門に観察する事にした。爺さんはやがて今|上《あが》り立《た》ての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、こちらへおいで」と手を出す。小供は大福を踏み付けたような爺さんを見て大変だと思ったか、わーっと悲鳴を揚《あ》げてなき出す。爺さんは少しく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに? 爺さんが恐《こわ》い? いや、これはこれは」と感嘆した。仕方がないものだからたちまち機鋒《きほう》を転じて、小供の親に向った。「や、これは源さん。今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋《おうみや》へ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴じゃの。あの戸の潜《くぐ》りの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。何も取らずに行《い》んだげな。御巡《おまわ》りさんか夜番でも見えたものであろう」と大《おおい》に泥棒の無謀を憫笑《びんしょう》したがまた一人を捉《つ》らまえて「はいはい御寒う。あなた方は、御若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっている。
 しばらくは爺さんの方へ気を取られて他の化物の事は全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶の中《うち》から消え去った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出すものがある。見ると紛《まぎ》れもなき苦沙弥先生である。主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聴き苦しいのは今日に始まった事ではないが場所が場所だけに吾輩は少からず驚ろいた。これは正《まさ》しく熱湯の中《うち》に長時間のあいだ我慢をして浸《つか》っておったため逆上《ぎゃくじょう》したに相違ないと咄嗟《とっさ》の際に吾輩は鑑定をつけた。それも単に病気の所為《せい》なら咎《とが》むる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有しているに相違ない事は、何のためにこの法外の胴間声《どうまごえ》を出したかを話せばすぐわかる。彼は取るにも足らぬ生意気《なまいき》書生を相手に大人気《おとなげ》もない喧嘩を始めたのである。「もっと下がれ、おれの小桶に湯が這入《はい》っていかん」と怒鳴るのは無論主人である。物は見ようでどうでもなるものだから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はない。万人のうちに一人くらいは高山彦九郎《たかやまひこくろう》が山賊を叱《しっ》したようだくらいに解釈してくれるかも知れん。当人自身もそのつもりでやった芝居かも分らんが、相手が山賊をもって自《みずか》らおらん以上は予期する結果は出て来ないに極《きま》っている。書生は後《うし》ろを振り返って「僕はもとからここにいたのです」とおとなしく答えた。これは尋常の答で、ただその地を去らぬ事を示しただけが主人の思い通りにならんので、その態度と云い言語と云い、山賊として罵《ののし》り返すべきほどの事でもないのは、いかに逆上の気味の主人でも分っているはずだ。しかし主人の怒号は書生の席そのものが不平なのではない、先刻《さっき》からこの両人は少年に似合わず、いやに高慢ちきな、利《き》いた風の事ばかり併《なら》べていたので、始終それを聞かされた主人は、全くこの点に立腹したものと見える。だから先方でおとなしい挨拶をしても黙って板の間へ上がりはせん。今度は「何だ馬鹿野郎、人の桶《おけ》へ汚ない水をぴちゃぴちゃ跳《は》ねかす奴があるか」と喝《かっ》し去った。吾輩もこの小僧を少々心憎く思っていたから、この時心中にはちょっと快哉《かいさい》を呼んだが、学校教員たる主人の言動としては穏《おだや》かならぬ事と思、た。元来主人はあまり堅過ぎていかん。石炭のたき殻《がら》見たようにかさかさしてしかもいやに硬い。むかしハンニバルがアルプス山を超《こ》える時に、路の真中に当って大きな岩があって、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルはこの大きな岩へ醋《す》をかけて火を焚《た》いて、柔かにしておいて、それから鋸《のこぎり》でこの大岩を蒲鉾《かまぼこ》のように切って滞《とどこお》りなく通行をしたそうだ。主人のごとくこんな利目《ききめ》のある薬湯へ煮《う》だるほど這入《はい》っても少しも功能のない男はやはり醋をかけて火炙《ひあぶ》りにするに限ると思う。しからずんば、こんな書生が何百人出て来て、何十年かかったって主人の頑固《がんこ》は癒《なお》りっこない。この湯槽《ゆ
前へ 次へ
全75ページ中42ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング