ヤね》に浮いているもの、この流しにごろごろしているものは文明の人間に必要な服装を脱ぎ棄てる化物の団体であるから、無論常規常道をもって律する訳にはいかん。何をしたって構わない。肺の所に胃が陣取って、和唐内が清和源氏になって、民さんが不信用でもよかろう。しかし一たび流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではない。普通の人類の生息《せいそく》する娑婆《しゃば》へ出たのだ、文明に必要なる着物をきるのだ。従って人間らしい行動をとらなければならんはずである。今主人が踏んでいるところは敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であって、当人はこれから歓言愉色《かんげんゆしょく》、円転滑脱《えんてんかつだつ》の世界に逆戻りをしようと云う間際《まぎわ》である。その間際ですらかくのごとく頑固《がんこ》であるなら、この頑固は本人にとって牢《ろう》として抜くべからざる病気に相違ない。病気なら容易に矯正《きょうせい》する事は出来まい。この病気を癒《なお》す方法は愚考によるとただ一つある。校長に依頼して免職して貰う事|即《すなわ》ちこれなり。免職になれば融通の利《き》かぬ主人の事だからきっと路頭に迷うに極《きま》ってる。路頭に迷う結果はのたれ死にをしなければならない。換言すると免職は主人にとって死の遠因になるのである。主人は好んで病気をして喜こんでいるけれど、死ぬのは大嫌《だいきらい》である。死なない程度において病気と云う一種の贅沢《ぜいたく》がしていたいのである。それだからそんなに病気をしていると殺すぞと嚇《おど》かせば臆病なる主人の事だからびりびりと悸《ふる》え上がるに相違ない。この悸え上がる時に病気は奇麗に落ちるだろうと思う。それでも落ちなければそれまでの事さ。
いかに馬鹿でも病気でも主人に変りはない。一飯《いっぱん》君恩を重んずと云う詩人もある事だから猫だって主人の身の上を思わない事はあるまい。気の毒だと云う念が胸一杯になったため、ついそちらに気が取られて、流しの方の観察を怠《おこ》たっていると、突然白い湯槽《ゆぶね》の方面に向って口々に罵《ののし》る声が聞える。ここにも喧嘩が起ったのかと振り向くと、狭い柘榴口《ざくろぐち》に一寸《いっすん》の余地もないくらいに化物が取りついて、毛のある脛と、毛のない股と入り乱れて動いている。折から初秋《はつあき》の日は暮るるになんなんとして流しの上は天井まで一面の湯気が立て籠《こ》める。かの化物の犇《ひしめ》く様《さま》がその間から朦朧《もうろう》と見える。熱い熱いと云う声が吾輩の耳を貫《つら》ぬいて左右へ抜けるように頭の中で乱れ合う。その声には黄なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互に畳《かさ》なりかかって一種名状すべからざる音響を浴場内に漲《みなぎ》らす。ただ混雑と迷乱とを形容するに適した声と云うのみで、ほかには何の役にも立たない声である。吾輩は茫然《ぼうぜん》としてこの光景に魅入《みい》られたばかり立ちすくんでいた。やがてわーわーと云う声が混乱の極度に達して、これよりはもう一歩も進めぬと云う点まで張り詰められた時、突然無茶苦茶に押し寄せ押し返している群《むれ》の中から一大長漢がぬっと立ち上がった。彼の身《み》の丈《たけ》を見ると他《ほか》の先生方よりはたしかに三寸くらいは高い。のみならず顔から髯《ひげ》が生《は》えているのか髯の中に顔が同居しているのか分らない赤つらを反《そ》り返して、日盛りに破《わ》れ鐘《がね》をつくような声を出して「うめろうめろ、熱い熱い」と叫ぶ。この声とこの顔ばかりは、かの紛々《ふんぷん》と縺《もつ》れ合う群衆の上に高く傑出して、その瞬間には浴場全体がこの男一人になったと思わるるほどである。超人だ。ニーチェのいわゆる超人だ。魔中の大王だ。化物の頭梁《とうりょう》だ。と思って見ていると湯槽《ゆぶね》の後《うし》ろでおーいと答えたものがある。おやとまたもそちらに眸《ひとみ》をそらすと、暗憺《あんたん》として物色も出来ぬ中に、例のちゃんちゃん姿の三介《さんすけ》が砕けよと一塊《ひとかたま》りの石炭を竈《かまど》の中に投げ入れるのが見えた。竈の蓋《ふた》をくぐって、この塊りがぱちぱちと鳴るときに、三介の半ハがぱっと明るくなる。同時に三介の後《うし》ろにある煉瓦《れんが》の壁が暗《やみ》を通して燃えるごとく光った。吾輩は少々|物凄《ものすご》くなったから早々《そうそう》窓から飛び下りて家《いえ》に帰る。帰りながらも考えた。羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、袴《はかま》を脱いで平等になろうと力《つと》める赤裸々の中には、また赤裸々の豪傑が出て来て他の群小を圧倒してしまう。平等はいくらはだかになったって得られるものではない。
帰って見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩餐《ばんさん》を食っている。吾輩が椽側《えんがわ》から上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今頃どこをあるいているんだろうと云った。膳の上を見ると、銭《ぜに》のない癖に二三品|御菜《おかず》をならべている。そのうちに肴《さかな》の焼いたのが一|疋《ぴき》ある。これは何と称する肴か知らんが、何でも昨日《きのう》あたり御台場《おだいば》近辺でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして残喘《ざんぜん》を保《たも》つ方がよほど結構だ。こう考えて膳の傍《そば》に坐って、隙《すき》があったら何か頂戴しようと、見るごとく見ざるごとく装《よそお》っていた。こんな装い方を知らないものはとうていうまい肴は食えないと諦《あきら》めなければいけない。主人は肴をちょっと突っついたが、うまくないと云う顔付をして箸《はし》を置いた。正面に控《ひか》えたる妻君はこれまた無言のまま箸の上下《じょうげ》に運動する様子、主人の両顎《りょうがく》の離合開闔《りごうかいこう》の具合を熱心に研究している。
「おい、その猫の頭をちょっと撲《ぶ》って見ろ」と主人は突然細君に請求した。
「撲てば、どうするんですか」
「どうしてもいいからちょっと撲って見ろ」
こうですかと細君は平手《ひらて》で吾輩の頭をちょっと敲《たた》く。痛くも何ともない。
「鳴かんじゃないか」
「ええ」
「もう一|返《ぺん》やって見ろ」
「何返やったって同じ事じゃありませんか」と細君また平手でぽかと参《まい》る。やはり何ともないから、じっとしていた。しかしその何のためたるやは智慮深き吾輩には頓《とん》と了解し難い。これが了解出来れば、どうかこうか方法もあろうがただ撲って見ろだから、撲つ細君も困るし、撲たれる吾輩も困る。主人は二度まで思い通りにならんので、少々|焦《じ》れ気味《ぎみ》で「おい、ちょっと鳴くようにぶって見ろ」と云った。
細君は面倒な顔付で「鳴かして何になさるんですか」と問いながら、またぴしゃりとおいでになった。こう先方の目的がわかれば訳はない、鳴いてさえやれば主人を満足させる事は出来るのだ。主人はかくのごとく愚物《ぐぶつ》だから厭《いや》になる。鳴かせるためなら、ためと早く云えば二返も三返も余計な手数《てすう》はしなくてもすむし、吾輩も一度で放免になる事を二度も三度も繰り返えされる必要はないのだ。ただ打《ぶ》って見ろと云う命令は、打つ事それ自身を目的とする場合のほかに用うべきものでない。打つのは向うの事、鳴くのはこっちの事だ。鳴く事を始めから予期して懸って、ただ打つと云う命令のうちに、こっちの随意たるべき鳴く事さえ含まってるように考えるのは失敬千万だ。他人の人格を重んぜんと云うものだ。猫を馬鹿にしている。主人の蛇蝎《だかつ》のごとく嫌う金田君ならやりそうな事だが、赤裸々をもって誇る主人としてはすこぶる卑劣である。しかし実のところ主人はこれほどけちな男ではないのである。だから主人のこの命令は狡猾《こうかつ》の極《きょく》に出《い》でたのではない。つまり智慧《ちえ》の足りないところから湧《わ》いた孑孑《ぼうふら》のようなものと思惟《しい》する。飯を食えば腹が張るに極《き》まっている。切れば血が出るに極っている。殺せば死ぬに極まっている。それだから打《ぶ》てば鳴くに極っていると速断をやったんだろう。しかしそれはお気の毒だが少し論理に合わない。その格で行くと川へ落ちれば必ず死ぬ事になる。天麩羅《てんぷら》を食えば必ず下痢《げり》する事になる。月給をもらえば必ず出勤する事になる。書物を読めば必ずえらくなる事になる。必ずそうなっては少し困る人が出来てくる。打てば必ずなかなければならんとなると吾輩は迷惑である。目白の時の鐘と同一に見傚《みな》されては猫と生れた甲斐《かい》がない。まず腹の中でこれだけ主人を凹《へこ》ましておいて、しかる後にゃーと注文通り鳴いてやった。
すると主人は細君に向って「今鳴いた、にゃあ[#「にゃあ」に傍点]と云う声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」と聞いた。
細君はあまり突然な問なので、何にも云わない。実を云うと吾輩もこれは洗湯の逆上がまださめないためだろうと思ったくらいだ。元来この主人は近所合壁《きんじょがっぺき》有名な変人で現にある人はたしかに神経病だとまで断言したくらいである。ところが主人の自信はえらいもので、おれが神経病じゃない、世の中の奴が神経病だと頑張《がんば》っている。近辺のものが主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持するため必要だとか号して彼等を豚々《ぶたぶた》と呼ぶ。実際主人はどこまでも公平を維持するつもりらしい。困ったものだ。こう云う男だからこんな奇問を細君に対《むか》って呈出するのも、主人に取っては朝食前《あさめしまえ》の小事件かも知れないが、聞く方から云わせるとちょっと神経病に近い人の云いそうな事だ。だから細君は煙《けむ》に捲《ま》かれた気味で何とも云わない。吾輩は無論何とも答えようがない。すると主人はたちまち大きな声で
「おい」と呼びかけた。
細君は吃驚《びっくり》して「はい」と答えた。
「そのはい[#「はい」に傍点]は感投詞か副詞か、どっちだ」
「どっちですか、そんな馬鹿気た事はどうでもいいじゃありませんか」
「いいものか、これが現に国語家の頭脳を支配している大問題だ」
「あらまあ、猫の鳴き声がですか、いやな事ねえ。だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」
「それだからさ。それがむずかしい問題なんだよ。比較研究と云うんだ」
「そう」と細君は利口だから、こんな馬鹿な問題には関係しない。「それで、どっちだか分ったんですか」
「重要な問題だからそう急には分らんさ」と例の肴《さかな》をむしゃむしゃ食う。ついでにその隣にある豚と芋《いも》のにころばしを食う。「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と大軽蔑《だいけいべつ》の調子をもって飲み込んだ。「酒をもう一杯飲もう」と杯《さかずき》を出す。
「今夜はなかなかあがるのね。もう大分《だいぶ》赤くなっていらっしゃいますよ」
「飲むとも――御前世界で一番長い字を知ってるか」
「ええ、前《さき》の関白太政大臣でしょう」
「それは名前だ。長い字を知ってるか」
「字って横文字ですか」
「うん」
「知らないわ、――御酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」
「いや、まだ飲む。一番長い字を教えてやろうか」
「ええ。そうしたら御飯ですよ」
「Archaiomelesidonophrunicherata と云う字だ」
「出鱈目《でたらめ》でしょう」
「出鱈目なものか、希臘語《ギリシャご》だ」
「何という字なの、日本語にすれば」
「意味はしらん。ただ綴《つづ》りだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分くらいにかける」
他人なら酒の上で云うべき事を、正気で云っているところがすこぶる奇観である。もっとも今夜に限って酒を無暗《むやみ》にのむ。平生なら猪口《ちょこ》に二杯ときめているのを、もう四杯飲んだ。二杯でも随分赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼火箸《やけひばし》のようにほてって、さも苦しそうだ。
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