んな黒装束《くろしょうぞく》が、三個も前途を遮《さえぎ》っては容易ならざる不都合だ。いよいよとなれば自《みずか》ら運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。面倒だから、いっそさよう仕ろうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまりこの辺には見馴れぬ人体《にんてい》である。口嘴《くちばし》が乙《おつ》に尖《とん》がって何だか天狗《てんぐ》の啓《もう》し子《ご》のようだ。どうせ質《たち》のいい奴でないには極《きま》っている。退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥辱だ。と思っていると左向《ひだりむけ》をした烏が阿呆《あほう》と云った。次のも真似をして阿呆と云った。最後の奴は御鄭寧《ごていねい》にも阿呆阿呆と二声叫んだ。いかに温厚なる吾輩でもこれは看過《かんか》出来ない。第一自己の邸内で烏輩《からすはい》に侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわる。名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら体面に係わる。決して退却は出来ない。諺《ことわざ》にも烏合《うごう》の衆と云うから三羽だって存外弱いかも知れない。進めるだけ進めと度胸を据《す》えて、のそのそ歩き出す。烏は知らん顔をして何か御互に話をしている様子だ。いよいよ肝癪《かんしゃく》に障《さわ》る。垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんだが、残念な事にはいくら怒《おこ》っても、のそのそとしかあるかれない。ようやくの事|先鋒《せんぽう》を去る事約五六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり羽搏《はばたき》をして一二尺飛び上がった。その風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏み外《は》ずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上から嘴《くちばし》を揃《そろ》えて吾輩の顔を見下している。図太い奴だ。睨《にら》めつけてやったが一向《いっこう》利《き》かない。背を丸くして、少々|唸《うな》ったが、ますます駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記号も何等の反応を呈出しない。考えて見ると無理のないところだ。吾輩は今まで彼等を猫として取り扱っていた。それが悪るい。猫ならこのくらいやればたしかに応《こた》えるのだが生憎《あいにく》相手は烏だ。烏の勘公とあって見れば致し方がない。実業家が主人|苦沙弥《くしゃみ》先生を圧倒しようとあせるごとく、西行《さいぎょう》に銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公が糞《ふん》をひるようなものである。機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいいが度を過ごすと行《い》かぬ者で、からだ全体が何となく緊《しま》りがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてってたまらない。毛穴から染《し》み出す汗が、流れればと思うのに毛の根に膏《あぶら》のようにねばり付く。背中《せなか》がむずむずする。汗でむずむずするのと蚤《のみ》が這《は》ってむずむずするのは判然と区別が出来る。口の届く所なら噛《か》む事も出来る、足の達する領分は引き掻《か》く事も心得ノあるが、脊髄《せきずい》の縦に通う真中と来たら自分の及ぶ限《かぎり》でない。こう云う時には人間を見懸けて矢鱈《やたら》にこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行うか、二者その一を択《えら》ばんと不愉快で安眠も出来兼ねる。人間は愚《ぐ》なものであるから、猫なで声で――猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ。吾輩を目安《めやす》にして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるから撫《な》でられ声で膝の傍《そば》へ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わが為《な》すままに任せるのみか折々は頭さえ撫《な》でてくれるものだ。しかるに近来吾輩の毛中《もうちゅう》にのみと号する一種の寄生虫が繁殖したので滅多《めった》に寄り添うと、必ず頸筋《くびすじ》を持って向うへ抛《ほう》り出される。わずかに眼に入《い》るか入《い》らぬか、取るにも足らぬ虫のために愛想《あいそ》をつかしたと見える。手を翻《ひるがえ》せば雨、手を覆《くつがえ》せば雲とはこの事だ。高がのみの千|疋《びき》や二千疋でよくまあこんなに現金な真似が出来たものだ。人間世界を通じて行われる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ。――自己の利益になる間は、すべからく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然豹変《がぜんひょうへん》したので、いくら痒《か》ゆくても人力を利用する事は出来ん。だから第二の方法によって松皮《しょうひ》摩擦法《まさつほう》をやるよりほかに分別はない。しからばちょっとこすって参ろうかとまた椽側《えんがわ》から降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心付いた。と云うのはほかでもない。松には脂《やに》がある。この脂《やに》たるすこぶる執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延《まんえん》する。十本やられたなと気が付くと、もう三十本引っ懸っている。吾輩は淡泊《たんぱく》を愛する茶人的猫《ちゃじんてきねこ》である。こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深《しゅうねんぶか》い奴は大嫌だ。たとい天下の美猫《びみょう》といえどもご免蒙る。いわんや松脂《まつやに》においてをやだ。車屋の黒の両眼から北風に乗じて流れる目糞と択《えら》ぶところなき身分をもって、この淡灰色《たんかいしょく》の毛衣《けごろも》を大《だい》なしにするとは怪《け》しからん。少しは考えて見るがいい。といったところできゃつなかなか考える気遣《きづかい》はない。あの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるに極《きま》っている。こんな無分別な頓痴奇《とんちき》を相手にしては吾輩の顔に係わるのみならず、引いて吾輩の毛並に関する訳だ。いくら、むずむずしたって我慢するよりほかに致し方はあるまい。しかしこの二方法共実行出来んとなるとはなはだ心細い。今において一工夫《ひとくふう》しておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気に罹《かか》るかも知れない。何か分別はあるまいかなと、後《あ》と足《あし》を折って思案したが、ふと思い出した事がある。うちの主人は時々手拭と石鹸《シャボン》をもって飄然《ひょうぜん》といずれへか出て行く事がある、三四十分して帰ったところを見ると彼の朦朧《もうろう》たる顔色《がんしょく》が少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のような汚苦《むさくる》しい男にこのくらいな影響を与えるなら吾輩にはもう少し利目《ききめ》があるに相違ない。吾輩はただでさえこのくらいな器量だから、これより色男になる必要はないようなものの、万一病気に罹《かか》って一歳|何《なん》が月《げつ》で夭折《ようせつ》するような事があっては天下の蒼生《そうせい》に対して申し訳がない。聞いて見るとこれも人間のひま潰《つぶ》しに案出した洗湯《せんとう》なるものだそうだ。どうせ人間の作ったものだから碌《ろく》なものでないには極《きま》っているがこの際の事だから試しに這入《はい》って見るのもよかろう。やって見て功験がなければよすまでの事だ。しかし人間が自己のために設備した浴場へ異類の猫を入れるだけの洪量《こうりょう》があるだろうか。これが疑問である。主人がすまして這入《はい》るくらいのところだから、よもや吾輩を断わる事もなかろうけれども万一お気の毒様を食うような事があっては外聞がわるい。これは一先《ひとま》ず容子《ようす》を見に行くに越した事はない。見た上でこれならよいと当りが付いたら、手拭を啣《くわ》えて飛び込んで見よう。とここまで思案を定めた上でのそのそと洗湯へ出掛けた。
横町を左へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立《きつりつ》して先から薄い煙を吐いている。これ即《すなわ》ち洗湯である。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯《ひきょう》とか未練とか云うが、あれは表からでなくては訪問する事が出来ぬものが嫉妬《しっと》半分に囃《はや》し立てる繰《く》り言《ごと》である。昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にきまっている。紳士養成|方《ほう》の第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだ。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はある。あんまり軽蔑《けいべつ》してはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってある。なぜ松薪《まつまき》が山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、ただちょっと山と岡を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、肴《さかな》を食ったり、獣《けもの》を食ったりいろいろの悪《あく》もの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食うように堕落したのは不憫《ふびん》である。行き当りを見ると一間ほどの入口が明け放しになって、中を覗《のぞ》くとがんがらがんのがあんと物静かである。その向側《むこうがわ》で何かしきりに人間の声がする。いわゆる洗湯はこの声の発する辺《へん》に相違ないと断定したから、松薪と石炭の間に出来てる谷あいを通り抜けて左へ廻って、前進すると右手に硝子窓《ガラスまど》があって、そのそとに丸い小桶《こおけ》が三角形|即《すなわ》ちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千万だろうと、ひそかに小桶諸君の意を諒《りょう》とした。小桶の南側は四五尺の間《あいだ》板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとく見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂《おあつら》えの上等である。よろしいと云いながらひらりと身を躍《おど》らすといわゆる洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついている。天下に何が面白いと云って、未《いま》だ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はない。諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分|乃至《ないし》四十分を暮すならいいが、もし吾輩のごとく風呂と云う烽フを見た事がないなら、早く見るがいい。親の死目《しにめ》に逢《あ》わなくてもいいから、これだけは是非見物するがいい。世界広しといえどもこんな奇観《きかん》はまたとあるまい。
何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするを憚《はば》かるほどの奇観だ。この硝子窓《ガラスまど》の中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体である。台湾の生蕃《せいばん》である。二十世紀のアダムである。そもそも衣装《いしょう》の歴史を繙《ひもと》けば――長い事だからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボー・ナッシが厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女共肩から足まで着物でかくしたくらいである。今を去る事六十年|前《ぜん》これも英国の去る都で図案学校を設立した事がある。図案学校の事であるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者を初め学校の職員が大困却をした事がある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。ところが当時の貴婦人方の考によると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく全くその本体を失《しっ》している。いやしくも本体を失している
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