黒い影は後《うし》ろに廻るかと思う間もなく吾輩の尻尾《しっぽ》へぶら下がる。瞬《またた》く間の出来事である。吾輩は何の目的もなく器械的に跳上《はねあが》る。満身の力を毛穴に込めてこの怪物を振り落とそうとする。耳に喰い下がったのは中心を失ってだらりと吾が横顔に懸る。護謨管《ゴムかん》のごとき柔かき尻尾の先が思い掛なく吾輩の口に這入る。屈竟《くっきょう》の手懸《てがか》りに、砕《くだ》けよとばかり尾を啣《くわ》えながら左右にふると、尾のみは前歯の間に残って胴体は古新聞で張った壁に当って、揚板の上に跳《は》ね返る。起き上がるところを隙間《すきま》なく乗《の》し掛《かか》れば、毬《まり》を蹴《け》たるごとく、吾輩の鼻づらを掠《かす》めて釣り段の縁《ふち》に足を縮めて立つ。彼は棚の上から吾輩を見おろす、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。距離は五尺。その中に月の光りが、大幅《おおはば》の帯を空《くう》に張るごとく横に差し込む。吾輩は前足に力を込めて、やっとばかり棚の上に飛び上がろうとした。前足だけは首尾よく棚の縁《ふち》にかかったが後足《あとあし》は宙にもがいている。尻尾には最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢で喰い下っている。吾輩は危《あや》うい。前足を懸《か》け易《か》えて足懸《あしがか》りを深くしようとする。懸け易える度に尻尾の重みで浅くなる。二三分《にさんぶ》滑れば落ちねばならぬ。吾輩はいよいよ危うい。棚板を爪で掻《か》きむしる音ががりがりと聞える。これではならぬと左の前足を抜き易える拍子に、爪を見事に懸け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶら下った。自分と尻尾に喰いつくものの重みで吾輩のからだがぎりぎりと廻わる。この時まで身動きもせずに覘《ねら》いをつけていた棚の上の怪物は、ここぞと吾輩の額を目懸けて棚の上から石を投ぐるがごとく飛び下りる。吾輩の爪は一縷《いちる》のかかりを失う。三つの塊《かた》まりが一つとなって月の光を竪《たて》に切って下へ落ちる。次の段に乗せてあった摺鉢《すりばち》と、摺鉢の中の小桶《こおけ》とジャムの空缶《あきかん》が同じく一塊《ひとかたまり》となチて、下にある火消壺を誘って、半分は水甕《みずがめ》の中、半分は板の間の上へ転がり出す。すべてが深夜にただならぬ物音を立てて死物狂いの吾輩の魂をさえ寒からしめた。
「泥棒!」と主人は胴間声《どうまごえ》を張り上げて寝室から飛び出して来る。見ると片手にはランプを提《さ》げ、片手にはステッキを持って、寝ぼけ眼《まなこ》よりは身分相応の炯々《けいけい》たる光を放っている。吾輩は鮑貝《あわびがい》の傍《そば》におとなしくして蹲踞《うずくま》る。二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持無沙汰に「何だ誰だ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もいないのに聞いている。月が西に傾いたので、白い光りの一帯は半切《はんきれ》ほどに細くなった。

        六

 こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利《イギリス》のシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入《ふいり》の毛衣《けごろも》だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分の中《うち》質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭《ぜに》のかからない生涯《しょうがい》を送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水《ぎょうずい》の一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾《のれん》を潜《くぐ》った事はない。折々は団扇《うちわ》でも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。それを思うと人間は贅沢《ぜいたく》なものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、酢《す》に漬《つ》けて見たり、味噌《みそ》をつけて見たり好んで余計な手数《てすう》を懸けて御互に恐悦している。着物だってそうだ。猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載《の》せて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になったり、蚕《かいこ》の御世話になったり、綿畠の御情《おなさ》けさえ受けるに至っては贅沢《ぜいたく》は無能の結果だと断言しても好いくらいだ。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押して行くのは毫《ごう》も合点《がてん》が行かぬ。第一頭の毛などと云うものは自然に生えるものだから、放《ほう》っておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼等は入らぬ算段をして種々雑多な恰好《かっこう》をこしらえて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾《ずきん》で包む。これでは何のために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うと櫛《くし》とか称する無意味な鋸様《のこぎりよう》の道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。等分にしな「と七分三分の割合で頭蓋骨《ずがいこつ》の上へ人為的の区劃《くかく》を立てる。中にはこの仕切りがつむじ[#「つむじ」に傍点]を通り過して後《うし》ろまで食《は》み出しているのがある。まるで贋造《がんぞう》の芭蕉葉《ばしょうは》のようだ。その次には脳天を平らに刈って左右は真直に切り落す。丸い頭へ四角な枠《わく》をはめているから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れない。このほか五分刈、三分刈、一分刈さえあると云う話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などと云う新奇な奴が流行するかも知れない。とにかくそんなに憂身《うきみ》を窶《やつ》してどうするつもりか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使わないと云うのから贅沢だ。四本であるけばそれだけはかも行く訳だのに、いつでも二本ですまして、残る二本は到来の棒鱈《ぼうだら》のように手持無沙汰にぶら下げているのは馬鹿馬鹿しい。これで見ると人間はよほど猫より閑《ひま》なもので退屈のあまりかようないたずらを考案して楽んでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑人《ひまじん》がよると障《さ》わると多忙だ多忙だと触れ廻わるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせつい[#「こせつい」に傍点]ている。彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと云うが、気楽でよければなるが好い。そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものだ。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣《けごろも》を着て通されるだけの修業をするがよろしい。――とは云うものの少々熱い。毛衣では全く熱《あ》つ過ぎる。
 これでは一手専売の昼寝も出来ない。何かないかな、永らく人間社会の観察を怠《おこた》ったから、今日は久し振りで彼等が酔興に齷齪《あくせく》する様子を拝見しようかと考えて見たが、生憎《あいにく》主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分《しょうぶん》である。昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら観察をしても一向《いっこう》観察する張合がない。こんな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚も幾分か反応を呈して、しばらくでも猫に遠ざかるだろうに、先生もう来ても好い時だと思っていると、誰とも知らず風呂場でざあざあ水を浴びるものがある。水を浴びる音ばかりではない、折々大きな声で相の手を入れている。「いや結構」「どうも良い心持ちだ」「もう一杯」などと家中《うちじゅう》に響き渡るような声を出す。主人のうちへ来てこんな大きな声と、こんな無作法《ぶさほう》な真似をやるものはほかにはない。迷亭に極《きま》っている。
 いよいよ来たな、これで今日半日は潰《つぶ》せると思っていると、先生汗を拭《ふ》いて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上って来て「奥さん、苦沙弥《くしゃみ》君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へ抛《ほう》り出す。細君は隣座敷で針箱の側《そば》へ突っ伏して好い心持ちに寝ている最中にワンワンと何だか鼓膜へ答えるほどの響がしたのではっと驚ろいて、醒《さ》めぬ眼をわざと※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って座敷へ出て来ると迷亭が薩摩上布《さつまじょうふ》を着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。
「おやいらしゃいまし」と云ったが少々|狼狽《ろうばい》の気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたまま御辞儀をする。「いえ、今来たばかりなんですよ。今風呂場で御三《おさん》に水を掛けて貰ってね。ようやく生き帰ったところで――どうも暑いじゃありませんか」「この両三日《りょうさんち》は、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、大変御暑うございます。――でも御変りもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。「ええありがとう。なに暑いくらいでそんなに変りゃしませんや。しかしこの暑さは別物ですよ。どうも体がだるくってね」「私《わたく》しなども、ついに昼寝などを致した事がないんでございますが、こう暑いとつい――」「やりますかね。好いですよ。昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構な事はないでさあ」とあいかわらず呑気《のんき》な事を並べて見たがそれだけでは不足と見えて「私《わたし》なんざ、寝たくない、質《たち》でね。苦沙弥君などのように来るたんびに寝ている人を見ると羨《うらやま》しいですよ。もっとも胃弱にこの暑さは答えるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上に載《の》せてるのが退儀でさあ。さればと云って載ってる以上はもぎとる訳にも行かずね」と迷亭君いつになく首の処置に窮している。「奥さんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんだから、坐っちゃいられないはずだ。髷《まげ》の重みだけでも横になりたくなりますよ」と云うと細君は今まで寝ていたのが髷の恰好《かっこう》から露見したと思って「ホホホ口の悪い」と云いながら頭をいじって見る。
 迷亭はそんな事には頓着なく「奥さん、昨日《きのう》はね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよ」と妙な事を云う。「フライをどうなさったんでございます」「屋根の瓦があまり見事に焼けていましたから、ただ置くのも勿体ないと思ってね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」「あらまあ」「ところがやっぱり天日《てんぴ》は思うように行きませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上って見たらね」「どうなっておりました」「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。
「しかし土用中あんなに涼しくって、今頃から暑くなるのは不思議ですね」「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣《ひとえ》では寒いくらいでございましたのに、一昨日《おととい》から急に暑くなりましてね」「蟹《かに》なら横に這《は》うところだが今年の気候はあとびさり[#「あとびさり」に傍点]をするんですよ。倒行《とうこう》して逆施《げきし》すまた可ならずやと云うような事を言っているかも知れない」「なんでござんす、それは」「いえ、何でもないのです。どうもこの気候の逆戻りをするところはまるでハーキュリスの
前へ 次へ
全75ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング