明しているとも解釈が出来る。もし全然無能でなくとも人間以上の能力はcIてない者であると断定が出来るだろうと思う。神が人間の数だけそれだけ多くの顔を製造したと云うが、当初から胸中に成算があってかほどの変化を示したものか、または猫も杓子《しゃくし》も同じ顔に造ろうと思ってやりかけて見たが、とうてい旨《うま》く行かなくて出来るのも出来るのも作り損《そこ》ねてこの乱雑な状態に陥《おちい》ったものか、分らんではないか。彼等顔面の構造は神の成功の紀念と見らるると同時に失敗の痕迹《こんせき》とも判ぜらるるではないか。全能とも云えようが、無能と評したって差し支えはない。彼等人間の眼は平面の上に二つ並んでいるので左右を一時《いちじ》に見る事が出来んから事物の半面だけしか視線内に這入《はい》らんのは気の毒な次第である。立場を換《か》えて見ればこのくらい単純な事実は彼等の社会に日夜間断なく起りつつあるのだが、本人|逆《のぼ》せ上がって、神に呑《の》まれているから悟りようがない。製作の上に変化をあらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾の模傚《もこう》を示すのも同様に困難である。ラファエルに寸分違わぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナを双幅《そうふく》見せろと逼《せま》ると同じく、ラファエルにとっては迷惑であろう、否同じ物を二枚かく方がかえって困難かも知れぬ。弘法大師に向って昨日《きのう》書いた通りの筆法で空海と願いますと云う方がまるで書体を換《か》えてと注文されるよりも苦しいかも分らん。人間の用うる国語は全然|模傚主義《もこうしゅぎ》で伝習するものである。彼等人間が母から、乳母《うば》から、他人から実用上の言語を習う時には、ただ聞いた通りを繰り返すよりほかに毛頭の野心はないのである。出来るだけの能力で人真似をするのである。かように人真似から成立する国語が十年二十年と立つうち、発音に自然と変化を生じてくるのは、彼等に完全なる模傚《もこう》の能力がないと云う事を証明している。純粋の模傚《もこう》はかくのごとく至難なものである。従って神が彼等人間を区別の出来ぬよう、悉皆《しっかい》焼印の御かめ[#「御かめ」に傍点]のごとく作り得たならばますます神の全能を表明し得るもので、同時に今日《こんにち》のごとく勝手次第な顔を天日《てんぴ》に曝《さ》らさして、目まぐるしきまでに変化を生ぜしめたのはかえってその無能力を推知し得るの具ともなり得るのである。
 吾輩は何の必要があってこんな議論をしたか忘れてしまった。本《もと》を忘却するのは人間にさえありがちの事であるから猫には当然の事さと大目に見て貰いたい。とにかく吾輩は寝室の障子をあけて敷居の上にぬっと現われた泥棒陰士を瞥見《べっけん》した時、以上の感想が自然と胸中に湧《わ》き出でたのである。なぜ湧いた?――なぜと云う質問が出れば、今一応考え直して見なければならん。――ええと、その訳はこうである。
 吾輩の眼前に悠然《ゆうぜん》とあらわれた陰士の顔を見るとその顔が――平常《ふだん》神の製作についてその出来栄《できばえ》をあるいは無能の結果ではあるまいかと疑っていたのに、それを一時に打ち消すに足るほどな特徴を有していたからである。特徴とはほかではない。彼の眉目《びもく》がわが親愛なる好男子水島寒月君に瓜《うり》二つであると云う事実である。吾輩は無論泥棒に多くの知己《ちき》は持たぬが、その行為の乱暴なところから平常《ふだん》想像して私《ひそ》かに胸中に描《えが》いていた顔はないでもない。小鼻の左右に展開した、一銭銅貨くらいの眼をつけた、毬栗頭《いがぐりあたま》にきまっていると自分で勝手に極《き》めたのであるが、見ると考えるとは天地の相違、想像は決して逞《たくまし》くするものではない。この陰士は背《せい》のすらりとした、色の浅黒い一の字眉の、意気で立派な泥棒である。年は二十六七歳でもあろう、それすら寒月君の写生である。神もこんな似た顔を二個製造し得る手際《てぎわ》があるとすれば、決して無能をもって目する訳には行かぬ。いや実際の事を云うと寒月君自身が気が変になって深夜に飛び出して来たのではあるまいかと、はっと思ったくらいよく似ている。ただ鼻の下に薄黒く髯《ひげ》の芽生《めば》えが植え付けてないのでさては別人だと気が付いた。寒月君は苦味《にがみ》ばしった好男子で、活動小切手と迷亭から称せられたる、金田富子嬢を優に吸収するに足るほどな念入れの製作物である。しかしこの陰士も人相から観察するとその婦人に対する引力上の作用において決して寒月君に一歩も譲らない。もし金田の令嬢が寒月君の眼付や口先に迷ったのなら、同等の熱度をもってこの泥棒君にも惚《ほ》れ込まなくては義理が悪い。義理はとにかく、論理に合わない。ああ云う才気のある、何でも早分りのする性質《たち》だからこのくらいの事は人から聞かんでもきっと分るであろう。して見ると寒月君の代りにこの泥棒を差し出しても必ず満身の愛を捧げて琴瑟《きんしつ》調和の実を挙げらるるに相違ない。万一寒月君が迷亭などの説法に動かされて、この千古の良縁が破れるとしても、この陰士が健在であるうちは大丈夫である。吾輩は未来の事件の発展をここまで予想して、富子嬢のために、やっと安心した。この泥棒君が天地の間に存在するのは富子嬢の生活を幸福ならしむる一大要件である。
 陰士は小脇になにか抱えている。見ると先刻《さっき》主人が書斎へ放り込んだ古毛布《ふるげっと》である。唐桟《とうざん》の半纏《はんてん》に、御納戸《おなんど》の博多《はかた》の帯を尻の上にむすんで、生白《なまじろ》い脛《すね》は膝《ひざ》から下むき出しのまま今や片足を挙げて畳の上へ入れる。先刻《さっき》から赤い本に指を噛《か》まれた夢を見ていた、主人はこの時寝返りを堂《どう》と打ちながら「寒月だ」と大きな声を出す。陰士は毛布《けっと》を落して、出した足を急に引き込ます。障子の影に細長い向脛《むこうずね》が二本立ったまま微《かす》かに動くのが見える。主人はうーん、むにゃむにゃと云いながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕を皮癬病《ひぜんや》みのようにぼりぼり掻《か》く。そのあとは静まり返って、枕をはずしたなり寝てしまう。寒月だと云ったのは全く我知らずの寝言と見える。陰士はしばらく椽側《えんがわ》に立ったまま室内の動静をうかがっていたが、主人夫婦の熟睡しているのを見済《みすま》してまた片足を畳の上に入れる。今度は寒月だと云う声も聞えぬ。やがて残る片足も踏み込む。一穂《いっすい》の春灯《しゅんとう》で豊かに照らされていた六畳の間《ま》は、陰士の影に鋭どく二分せられて柳行李《やなぎごうり》の辺《へん》から吾輩の頭の上を越えて壁の半《なか》ばが真黒になる。振り向いて見ると陰士の顔の影がちょうど壁の高さの三分の二の所に漠然《ばくぜん》と動いている。好男子も影だけ見ると、八《や》つ頭《がしら》の化《ば》け物《もの》のごとくまことに妙な恰好《かっこう》である。陰士は細君の寝顔を上から覗《のぞ》き込んで見たが何のためかにやにやと笑った。笑い方までが寒月君の模写であるには吾輩も驚いた。
 細君の枕元には四寸角の一尺五六寸ばかりの釘付《くぎづ》けにした箱が大事そうに置いてある。これは肥前の国は唐津《からつ》の住人|多々良三平君《たたらさんぺいくん》が先日帰省した時|御土産《おみやげ》に持って来た山の芋《いも》である。山の芋を枕元へ飾って寝るのはあまり例のない話しではあるがこの細君は煮物に使う三盆《さんぼん》を用箪笥《ようだんす》へ入れるくらい場所の適不適と云う観念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋は愚《おろ》か、沢庵《たくあん》が寝室に在《あ》っても平気かも知れん。しかし神ならぬ陰士はそんな女と知ろうはずがない。かくまで鄭重《ていちょう》に肌身に近く置いてある以上は大切な品物であろうと鑑定するのも無理はない。陰士はちょっと山の芋の箱を上げて見たがその重さが陰士の予期と合して大分《だいぶ》目方が懸《かか》りそうなのですこぶる満足の体《てい》である。いよいよ山の芋を盗むなと思ったら、しかもこの好男子にして山の芋を盗むなと思ったら急におかしくなった。しかし滅多《めった》に声を立てると危険であるからじっと怺《こら》えている。
 やがて陰士は山の芋の箱を恭《うやうや》しく古毛布《ふるげっと》にくるみ初めた。なにかからげるものはないかとあたりを見廻す。と、幸い主人が寝る時に解《と》きすてた縮緬《ちりめん》の兵古帯《へこおび》がある。陰士は山の芋の箱をこの帯でしっかり括《くく》って、苦もなく背中へしょう。あまり女が好《す》く体裁ではない。それから小供のちゃんちゃんを二枚、主人のめり安《やす》の股引《ももひき》の中へ押し込むと、股のあたりが丸く膨《ふく》れて青大将《あおだいしょう》が蛙《かえる》を飲んだような――あるいは青大将の臨月《りんげつ》と云う方がよく形容し得るかも知れん。とにかく変な恰好《かっこう》になった。嘘だと思うなら試しにやって見るがよろしい。陰士はめり安をぐるぐる首《くび》っ環《たま》へ捲《ま》きつけた。その次はどうするかと思うと主人の紬《つむぎ》の上着を大風呂敷のように拡《ひろ》げてこれに細君の帯と主人の羽織と繻絆《じゅばん》とその他あらゆる雑物《ぞうもつ》を奇麗に畳んでくるみ込む。その熟練と器用なやり口にもちょっと感心した。それから細君の帯上げとしごきとを続《つ》ぎ合わせてこの包みを括《くく》って片手にさげる。まだ頂戴《ちょうだい》するものは無いかなと、あたりを見廻していたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、ちょっと袂《たもと》へ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプに翳《かざ》して火を点《つ》ける。旨《う》まそうに深く吸って吐き出した煙りが、乳色のホヤを繞《めぐ》ってまだ消えぬ間《ま》に、陰士の足音は椽側《えんがわ》を次第に遠のいて聞えなくなった。主人夫婦は依然として熟睡している。人間も存外|迂濶《うかつ》なものである。
 吾輩はまた暫時《ざんじ》の休養を要する。のべつに喋舌《しゃべ》っていては身体が続かない。ぐっと寝込んで眼が覚《さ》めた時は弥生《やよい》の空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。
「それでは、ここから這入《はい》って寝室の方へ廻ったんですな。あなた方は睡眠中で一向《いっこう》気がつかなかったのですな」
「ええ」と主人は少し極《きま》りがわるそうである。
「それで盗難に罹《かか》ったのは何時《なんじ》頃ですか」と巡査は無理な事を聞く。時間が分るくらいなら何《な》にも盗まれる必要はないのである。それに気が付かぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしている。
「何時頃かな」
「そうですね」と細君は考える。考えれば分ると思っているらしい。
「あなたは夕《ゆう》べ何時に御休みになったんですか」
「俺の寝たのは御前よりあとだ」
「ええ私《わたく》しの伏せったのは、あなたより前です」
「眼が覚めたのは何時だったかな」
「七時半でしたろう」
「すると盗賊の這入《はい》ったのは、何時頃になるかな」
「なんでも夜なかでしょう」
「夜中《よなか》は分りきっているが、何時頃かと云うんだ」
「たしかなところはよく考えて見ないと分りませんわ」と細君はまだ考えるつもりでいる。巡査はただ形式的に聞いたのであるから、いつ這入ったところが一向《いっこう》痛痒《つうよう》を感じないのである。嘘でも何でも、いい加減な事を答えてくれれば宜《よ》いと思っているのに主人夫婦が要領を得ない問答をしているものだから少々|焦《じ》れたくなったと見えて
「それじゃ盗難の時刻は不明なんですな」と云うと、主人は例のごとき調子で
「まあ、そうですな」と答える。巡査は笑いもせずに
「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寝たところが盗賊が、どこそこの雨戸を外《はず》してどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行った
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