》になった。
 短かい秋の日はようやく暮れて、巻煙草の死骸《しがい》が算を乱す火鉢のなかを見れば火はとくの昔に消えている。さすが呑気《のんき》の連中も少しく興が尽きたと見えて、「大分《だいぶ》遅くなった。もう帰ろうか」とまず独仙君が立ち上がる。つづいて「僕も帰る」と口々に玄関に出る。寄席《よせ》がはねたあとのように座敷は淋しくなった。
 主人は夕飯《ゆうはん》をすまして書斎に入る。妻君は肌寒《はださむ》の襦袢《じゅばん》の襟《えり》をかき合せて、洗《あら》い晒《ざら》しの不断着を縫う。小供は枕を並べて寝る。下女は湯に行った。
 呑気《のんき》と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。悟ったようでも独仙君の足はやはり地面のほかは踏まぬ。気楽かも知れないが迷亭君の世の中は絵にかいた世の中ではない。寒月君は珠磨《たます》りをやめてとうとうお国から奥さんを連れて来た。これが順当だ。しかし順当が永く続くと定めし退屈だろう。東風君も今十年したら、無暗に新体詩を捧げる事の非を悟るだろう。三平君に至っては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定がむずかしい。生涯《しょうがい》三鞭酒《シャン
前へ 次へ
全750ページ中742ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング