ルの徳利をふって見ると、半分以上足りない。何でも誰か飲んだに相違ないと云うので見廻して見ると、大将隅の方に朱泥《しゅでい》を練りかためた人形のようにかたくなっていらあね……」
 三人は思わず哄然《こうぜん》と笑い出した。主人も本をよみながら、くすくすと笑った。独《ひと》り独仙君に至っては機外《きがい》の機《き》を弄《ろう》し過ぎて、少々疲労したと見えて、碁盤の上へのしかかって、いつの間《ま》にやら、ぐうぐう寝ている。
「まだ音がしないもので露見した事がある。僕が昔し姥子《うばこ》の温泉に行って、一人のじじいと相宿になった事がある。何でも東京の呉服屋の隠居か何かだったがね。まあ相宿だから呉服屋だろうが、古着屋だろうが構う事はないが、ただ困った事が一つ出来てしまった。と云うのは僕は姥子《うばこ》へ着いてから三日目に煙草《たばこ》を切らしてしまったのさ。諸君も知ってるだろうが、あの姥子と云うのは山の中の一軒屋でただ温泉に這入《はい》って飯を食うよりほかにどうもこうも仕様のない不便の所さ。そこで煙草を切らしたのだから御難だね。物はないとなるとなお欲しくなるもので、煙草がないなと思うやいなや、い
前へ 次へ
全750ページ中687ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング