ちゃしきぶ》か鼠式部《ねずみしきぶ》かになって、三人とも申し合せたように情夫《じょうふ》をこしらえて出奔《しゅっぽん》しても、やはり自分の飯を食って、自分の汁を飲んで澄まして見ているだろう。働きのない事だ。しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌《かま》をかけて人を陥《おとしい》れる事よりほかに何も知らないようだ。中学などの少年輩までが見様見真似《みようみまね》に、こうしなくては幅が利《き》かないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々《とくとく》と履行《りこう》して未来の紳士だと思っている。これは働き手と云うのではない。ごろつき手と云うのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。こんな働き手を見るたびに撲《なぐ》ってやりたくなる。こんなものが一人でも殖《ふ》えれば国家はそれだけ衰える訳である。こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。恥辱であるにも関らず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。日本の人間は猫ほどの気概もない
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