Nも来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角を一寸《いっすん》ばかり食い込んだ。このくらい力を込めて食い付いたのだから、大抵なものなら噛《か》み切れる訳だが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一|辺《ぺん》噛み直そうとすると動きがとれない。餅は魔物だなと疳《かん》づいた時はすでに遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮《あせ》るたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。この餅も蜷lと同じようにどうしても割り切れない。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際方《じんみらいざいかた》のつく期《ご》はあるまいと思われた。この煩悶《はんもん》の際吾輩は覚えず第二の真理に逢着《ほうちゃく》した。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餅
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