オに脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばた[#「あばた」に傍点]があらわれてくる。いくら撫《な》でても、さすってもぽつぽつがとれない。枯野に蛍《ほたる》を放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意《ぎょい》に入らんのは勿論《もちろん》の事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝《あば》くにも当らぬ訳だ。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばた[#「あばた」に傍点]も内済《ないさい》にしたいくらいなところだから、ただで生《は》える毛を銭《ぜに》を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨《ずがいこつ》の上まで天然痘《てんねんとう》ノやられましたよと吹聴《ふいちょう》する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以《ゆえん》で、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実である。
風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来ている以上は鏡が離魂病《りこんびょう》に罹《かか》ったの
前へ
次へ
全750ページ中509ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング