Aりの友人が来た折なぞは、「君西洋人にはあばた[#「あばた」に傍点]があるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあ滅多《めった》にないね」と云ったら、主人は「滅多になくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返えした。友人は気のない顔で「あっても乞食か立《たち》ん坊《ぼう》だよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と云った。
哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留った主人はその後書斎に立て籠《こも》ってしきりに何か考えている。彼の忠告を容《い》れて静坐の裡《うち》に霊活なる精神を消極的に修養するつもりかも知れないが、元来が気の小さな人間の癖に、ああ陰気な懐手《ふところで》ばかりしていては碌《ろく》な結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節《らっぱぶし》でも習った方が遥《はる》かにましだとまでは気が付いたが、あんな偏屈《へんくつ》な男はとうてい猫の忠告などを聴く気遣《きづかい》はないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせずに暮した。
今日はあれから
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