吾輩は主人の顔を見る度に考える。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面《おくめん》なく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅も利《き》いたか知らんが、あらゆるあばた[#「あばた」に傍点]が二の腕へ立ち退《の》きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取って頑《がん》として動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばた[#「あばた」に傍点]の体面に関する訳だ。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた[#「あばた」に傍点]自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天《ちゅうてん》に挽回《ばんかい》せずんばやまずと云う意気込みで、あんなに横風《おうふう》に顔一面を占領しているのか知らん。そうするとこのあばた[#「あばた」に傍点]は決して軽蔑《けいべつ》の意をもって視《み》るべきものでない。滔々《とうとう》たる流俗に抗する万古不磨《ばんこふま》の穴の集合体であって、大《おおい》に吾人の尊敬に値する凸凹《でこぼこ》と云って宜《よろ》しい。ただきたならしいのが欠点である。
主人の小供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯《あさだそうはく》と云う
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