ヘやはり胃弱でない方がいいと見えて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。考えて見ると今朝|雑煮《ぞうに》をあんなにたくさん食ったのも昨夜《ゆうべ》寒月君と正宗をひっくり返した影響かも知れない。吾輩もちょっと雑煮が食って見たくなった。
 吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。車屋の黒のように横丁の肴屋《さかなや》まで遠征をする気力はないし、新道《しんみち》の二絃琴《にげんきん》の師匠の所《とこ》の三毛《みけ》のように贅沢《ぜいたく》は無論云える身分でない。従って存外|嫌《きらい》は少ない方だ。小供の食いこぼした麺麭《パン》も食うし、餅菓子の※[#「食へん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]《あん》もなめる。香《こう》の物《もの》はすこぶるまずいが経験のため沢庵《たくあん》を二切ばかりやった事がある。食って見ると妙なもので、大抵のものは食える。あれは嫌《いや》だ、これは嫌だと云うのは贅沢《ぜいたく》な我儘で到底教師の家《うち》にいる猫などの口にすべきところでない。主人の話しによると仏蘭西《フランス》にバルザックという小説家があったそうだ。この男が大の贅沢《ぜいたく》屋で――
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