痰フ頭に極ってるが――その例の頭を振り立て振り立て、太陽に照らしつけて往来をあるいていた。これが間違いのもとである。禿げ頭を日にあてて遠方から見ると、大変よく光るものだ。高い木には風があたる、光かる頭にも何かあたらなくてはならん。この時イスキラスの頭の上に一羽の鷲《わし》が舞っていたが、見るとどこかで生捕《いけど》った一|疋《ぴき》の亀を爪の先に攫《つか》んだままである。亀、スッポンなどは美味に相違ないが、希臘時代から堅い甲羅《こうら》をつけている。いくら美味でも甲羅ツきではどうする事も出来ん。海老《えび》の鬼殻焼《おにがらやき》はあるが亀の子の甲羅煮は今でさえないくらいだから、当時は無論なかったに極っている。さすがの鷲《わし》も少々持て余した折柄《おりから》、遥《はる》かの下界にぴかと光った者がある。その時鷲はしめたと思った。あの光ったものの上へ亀の子を落したなら、甲羅は正《まさ》しく砕けるに極《き》わまった。砕けたあとから舞い下りて中味《なかみ》を頂戴《ちょうだい》すれば訳はない。そうだそうだと覗《ねらい》を定めて、かの亀の子を高い所から挨拶も無く頭の上へ落した。生憎《あいにく》作
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