轣A気の毒ながら御櫃《おはち》の上から黙って見物して「た。
 寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行《ある》いたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓に就《つ》いたのは九時頃であった。例の御櫃の上から拝見していると、主人はだまって雑煮《ぞうに》を食っている。代えては食い、代えては食う。餅の切れは小さいが、何でも六切《むきれ》か七切《ななきれ》食って、最後の一切れを椀の中へ残して、もうよそうと箸《はし》を置いた。他人がそんな我儘《わがまま》をすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中に焦《こ》げ爛《ただ》れた餅の死骸を見て平気ですましている。妻君が袋戸《ふくろど》の奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それは利《き》かないから飲まん」という。「でもあなた澱粉質《でんぷんしつ》のものには大変功能があるそうですから、召し上ったらいいでしょう」と飲ませたがる。「澱粉だろうが何だろうが駄目だよ」と頑固《がんこ》に出る。「あなたはほんとに厭《あ》きっぽい」と細君が独言《ひとりごと》のようにいう。「厭きっぽいのじゃない薬が利かんのだ」「それ
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