《つまがか》りのいいものはない。その爪懸りのいい幹へ一気呵成《いっきかせい》に馳《か》け上《あが》る。馳け上っておいて馳け下がる。馳け下がるには二法ある。一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくる。一は上《のぼ》ったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる。人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間のあさはかな了見《りょうけん》では、どうせ降りるのだから下向《したむき》に馳け下りる方が楽だと思うだろう。それが間違ってる。君等は義経が鵯越《ひよどりごえ》を落《お》としたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論|下《し》た向きでたくさんだと思うのだろう。そう軽蔑《けいべつ》するものではない。猫の爪はどっちへ向いて生《は》えていると思う。みんな後《うし》ろへ折れている。それだから鳶口《とびぐち》のように物をかけて引き寄せる事は出来るが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢よく馳け登ったとする。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向から云えば吾輩が長く松樹の巓《いただき》に留《とど》まるを許さんに相違ない、ただおけば必ず落ちる。しかし手放しで落ちて
前へ 次へ
全750ページ中387ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング